2007年 2月 1日 (木) 

       

■  〈あのころほくはバンドマンだった〉36 北島貞紀 オータムインNY2

 ■1978年 秋

  羽田の国際線、アンカレッジ経由ニューヨーク行きの飛行機の中で離陸を待っていた。1都市滞在フリープラン「ニューヨークの旅」パックに参加したのだが、現地で駐在員が待っているとのことで、指定された便に乗り込むまでは参加者各々(おのおの)の責任で、そのパックに誰が参加しているのかさっぱりわからない。

  そろそろ定刻が近づいたとき乗り込んできた人に注目が集まった。Tシャツ、ジーパンに下駄(げた)をはき、唐傘を持って乗り込んできた中年のオッサンだった。そしてあろうことか、僕の隣の席に座ったのだ。席に着くと、そのころ創刊された若者向け雑誌「ポパイ」を取り出した。何やけったいなオッサン!

  そして飛行機は離陸した。

  けったいなオッサンは、なかなかどうして紳士的であった。彼は、東北の菓子メーカーの社長さんで、旅慣れていた。何せ18時間に及ぶ長旅、時間はたっぷりある。珍しい酒やたばこを勧めてくれるのだが「これ、試してみませんか」という言い方をした。かなり年下の僕に対して、とても丁寧な言葉遣いをする。

  そして驚いたことに、彼もパック参加者だった!もう何回目かのニューヨーク、視察と商談がメーンだが、パックの方が値段が安くて便利だからとのたまう。唐傘や下駄は、お土産に持っていくととても喜ばれるんですよ。

  感性が合うというのか、とにかく何を話し合っても楽しくて、ニューヨークのケネディ空港に着陸するころにはすっかり意気投合した。初めての海外旅行で多少心細く思っていたが、もうそういう心配は一切吹き飛んでいた。

  「空港に友達が迎えに来ますから、ご一緒しませんか。街で食事して、その後でホテルに入りましょう」。佐伯氏の誘いに、喜んでOKした。
 
  税関を通って、空港ロビーに立つと、まず体のでかい黒人が目についた。当たり前のことだが周りがみんな外人だ、いや、僕が外人か。うーん、憧れのニューヨーク!

  JALの旗をあげた人が目にはいった。その現地駐在員のもとに、何人か集まっている。僕たちも近寄って名前を言った。ここで初めてツアー参加者と顔を合わせた。

  数を数えると、たったの8人だった。

  「これで全部ですね。これからバスでホテルに行きます。ホテルに着いたら、そこでオリエンテーションをして、部屋割りをします。1部屋に2名になります」

  かねての打ち合わせどおり、僕たちは駐在員に断って列を離れた。

  「ハーイ、サエキ、ハワ ユー」出迎えたのは、アメリカ人にしては小柄なポニーテールだった。記念すべきマンハッタン、最初の夜、僕たちはイタリアンレストランでワインを3本空け、駐在員と約束した時間もなかったことにした。

  (ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/


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