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海と陸の商いが頻繁にいきかう。野田を出発したウシと牛方衆は、白石峠〜下戸鎖〜内間木〜小国をへて平庭高原へ登りあがった。そこから葛巻〜沼宮内〜渋民と下って、盛岡城下に到着する。
シオ1升がコメ1升で取引された藩政時代、海辺の野田と内陸の沼宮内をつなぐ県道29号や国道281号は「塩の道」と呼ばれる交易ルートであった。北上山地の脊梁(せきりょう)がウシの背のように横たわり、そこにはどうしても越えねばならぬ寒冷の峠743メートルが立ちはだかっていた。
葛巻町と久慈市の境界線上に「久慈平庭県立自然公園」がある。頂が平庭岳。峠を平庭峠と呼び、平らかな草原は平庭高原と称す。低温の北東風「やませ」が忍びより、夏さえ冷気につつまれる北の地である。
すでに「塩の道」としての役目を終えた高原は、いわて短角牛の育成地としてよみがえった。シラカバの自然林やレンゲツツジの色調が目にやさしく、清々(すがすが)しい空気のなかで、ヘルシーな草をはむのどかな牛の群れがまばゆい。
その静寂をやぶるのは闘牛だ。巨体がガツンとぶつかりあう。充血したマナコ。ボーボーと湯気立つ背中。つつじ祭り・お盆・紅葉の年三回、勇猛な牛の闘いに「やんや、やんや」の喝采(かっさい)で沸きかえる。
シオを運ぶ牛の先頭を決めようと、牛のつきあわせした慣わしが闘牛のはじまりだったときく。「冷たいやませを吹き飛ばせ!」牛こそ平庭岳の厳しさを和らげ、冷気を吹き飛ばすシンボルである。ここでは牛がどこまでも主役なのだ。
葛巻町の高家領からいっきに高度は上がる。大坊峠をすぎ、産直ハウスやトイレのある平庭峠につく。その広場と反対側に「塩の道入口」の標柱があるので、幅広い道をキャンプ場までいく。
砂利道のさきがツツジの群生地、富士見平だ。左手に平庭岳がくっきり見えているのに、登り口がどうしても分からない。試しに遠別岳への平坦な踏み跡をたどったが、平庭岳から離れてしまうため、富士見平へひきかえす。
再び目をこらし注意深くうかがう。なんのことはない、遠別岳の路(みち)から少し左前方に、かすかに踏みつけられた一本の草地が山頂めがけて延びていた。
ササに埋もれた看板から200メートルごとに設置された標柱をたどり、三等三角点のある狭い山頂に難なく導かれた。2時間で富士見平を往復できる。
「ウッ、さむ!」私はポケットに手をつっこみ、体温をのがすまいとウイスキーボトルのように肩をいからせた。もはやホットミルクが恋しい季節であった。
(版画家、盛岡市在住)
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