2007年 2月 11日 (日) 

       

■ 〈盛岡百景〉100 景観を守る難しさ知る(最終回に当たって) 老梅園

     
  老梅園(盛岡市提供の古い写真)  
 
老梅園(盛岡市提供の古い写真)
 

 2005年6月、いわゆる景観緑三法が全面施行された。景観問題は近年、市民意識の広がりからか景観問題は日本のあちこちで表れているが、ビル建設や並木の伐採、道路拡幅などを通じて反対運動が起きるのは、古くて新しい問題だ。2年間続けた盛岡百景の連載を今回で終わるに当たり、都市と景観について改めて考えた。(井上忠晴記者)

 盛岡では、市街地の拡大や再開発事業が継続され、既存市街地では建設中のマンションがない期間はないと思うほどだ。ここ10年ぐらいでも景観をめぐる市民運動が盛岡周辺でいくつか起きた。
  都市は変わることをを宿命付けられているかもしれない。その地で人の営みがある限り大小、目に見える見えないにかかわらず、絶えず変化を続けている。盛岡も例外ではない。変化を受容しなければならないなら、どんなものは受け入れ、どんなものは避けるのかと、景観に対するコンセンサスが地域に必要だと考えた。

  その景観を考える物差しとして盛岡百景の今を取り上げた。1989年に公募によって選定された百景の中では10数年の間に変化という変化がなかったものもあれば、大きな改変や消滅すらあったものもある。応募した市民には残したい気持ちがあったはずだが、すべてが当時のままとはならなかった。

  街の改変は懐かしい風景が少しずつ消えていることを意味する。今日、それを惜しむ声が多くなっているのは事実だろう。しかし、都市が持つ変化しようとする自然な流れに抵抗するにはエネルギーが要る。景観は残そうという強い意志がなければいつの間にか変わっているのが実態だろう。民間所有の建物などは所有者の意志や負担によるところが大きい、眺望などは1人や2人の力ではなく広い市民意識があってこそ維持されると、改めて感じた。

  盛岡百景を制定後に旧都南村、旧玉山村と合併し、新盛岡市となっていることに言及しておきたい。都南や玉山の地域にも百景に並ぶ景観や風景がある。新盛岡百景を市民の手で発掘し、残そうという意識を醸成することが、変化しながらも地域の財産を生かす視点を取り入れたまちづくりにつながっていくだろう。

  ■老梅園

  大慈寺町の老梅園は盛岡市内の庭園中、最も由緒あると言われ、市保護庭園に指定されている。庭に面した建物の老梅院茶室も市保存建造物。建物と庭の双方が保存指定されているのは数えるほどで貴重な遺産だ。私邸内にあり一般に見ることはできない。

  寺の下かいわいのこの地に老梅院が築かれたのは1722年(享保7年)のこと。第6代藩主南部利幹が、南部家菩提所の聖寿禅寺9世逸彦米祖(いつけんべいそ)和尚の隠居所として贈ったという。

  これまで紹介してきた庭園は池泉回遊式ばかりだったが、ここは蓬莱(ほうらい)造りの庭。江戸時代、むやみに造れない高い格式だったようだ。

  茶室は書院造りの8畳の茶室と小間茶室から成り、1729年に火災に遭った。再建年は不詳で江戸時代後期と推定されている。茶室は、千利休が豊臣秀吉のため作った聚楽第の残月亭を模して「残月席」と呼ぶ。

(おわり)


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