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編集後記に「本誌の発行目的みたいなものについては、表紙裏の短文で語ったつもりになっている…」と述べる、聞書記録誌『人間雑誌』(A5判・248ページ)が、昭和54年12月草風館から創刊されました。
表紙裏には「わが身、こころもそのひとつである、あたりまえでふつうの人間の、やさしさと哀しみにみちた生き死にを、民族や国家と向きあいながら、記録を中心とする方法によって明らかにしたい。この仕事をとおして、人間についての知識でなく、その獲得によっておのれの生き方・死に方がかわるような《智慧》の一片をでも読み手、書き手と共有したいと思う」と書いてあります。
グラビアは、本橋成一のモノクロで「サーカス」です。サーカスといえば小生など即座に「旅のつばくろ、淋しかないか、おれもさみしい、サーカスぐらし…」と「サーカスの唄」が思い出されます。
悪さをすると「サーカスに売るぞ」と親も言いました。そんなイメージのサーカスですが、16ページに及ぶグラビアはたくましく生きる人間の記録です。
西田啓一「あるサーカス一座の記録」は、山根曲芸団長の半生をとおして語る、日本のサーカスの盛衰と芸人根性ですが、書き手(記録者)の思いが、現実とぶつかり合った人情あふれる表現になっています。
以下、上野英信「眉屋私記」は、圧政と貧困の中沖縄からメキシコに渡って炭坑夫となった、山入端萬英の一生を追うヒューマン・ルポルタージュ。川原一之「亜砒鉱山」は、九州は土呂久山の亜砒酸鉱毒にあえぎ苦しむ村人たちの物語。松崎次夫「地獄の喧嘩花」は、水俣のチッソで働く第一組合員の労働者としての叫びを聞書き。宮下忠子「ある戦後」は、東京は山谷の医療相談室を訪れたある患者の過酷な戦争体験と、戦後の数奇な出会いを綴(つづ)ります。
ふと、柳田国男の『口承文芸史考』を思い出しました。過去を聞書・記録することは、時代を切り拓く糧として重要ですが、孫が祖父母から自然に聞いてきた語りの場も、昨今は核家族によって失われました。
田村紀雄「日露戦争と農民兵士」は民衆にとって記録とは何かを、日露戦争に従軍した栃木県出身森貞吉の手紙を通して探りますが、それならばわが岩手においては、大牟羅良『農民兵士の手紙』という先駆者がすでにおりました。
(毎週日曜日掲載)
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