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■東北戊辰戦争の隠れた目的
東北における戊辰戦争は、薩長両藩関係者の会津・庄内両藩に対する復讐(ふくしゅう)心、そして薩長両藩出身新権力者たちの政治的野心と権力欲に発し、そしてその前提には、西国人の東北あるいは東北人に対する優越感と支配征服欲があったと思っているが、そのほかにも考えられることがある。
幕末動乱期にはほとんどが20代あるいは30代であったいわゆる維新の功臣たちが、幕末動乱期の最初から、明治になって実現した廃藩置県による中央集権や、徴兵制度による軍制改革、そして封建体制の最終的解決である秩録処分までを、具体的構想として描いていたとは思われない。
新政権樹立前に倒れた別格の先見力を持った吉田松陰・坂本龍馬や高杉晋作(注8)を含めてのことであるが、前述のように、当初は主として政治的野心と功名心・権力欲に動かされていたと考えている。
そうでなければ、29歳で世を去った高杉晋作の辞世の言葉である「おもしろきこともなき世をおもしろく」に表されているように、若さからくる冒険心であろう。
ただし、私は、時代の変革につながる政治的野心や功名心を、無条件で悪であると考えているわけではない。
その若者たちが、政治的環境の中で経験を積み、最高権力に近づくにしたがって視野が広くなりものを見る目が備わり、新しい問題意識を持つようになり、そして新しい発想と構想を持つようになったのではないかということである。
それは、攘夷の不可能を体験↓幕府勢力を包含した体制では抜本的改革は不可能↓雄藩・賢侯グループを中心とする体制の限界↓欧米列強に対抗するための絶対的中央集権体制の樹立(廃藩置県)↓軍制改革(武士の廃止と徴兵制の採用)↓そしてその諸変革のための基本的状況設定には相当の荒療治=戦争が必要であるという認識である。
以上のような思考の変遷があったとして、戊辰戦争が東北に及ぼうとした時期、彼らが考えていたことを推理してみる。
その当時彼らが描いたあるいは描きつつあった、廃藩そして大名と武士の既得権のすべてを取り上げ、完全な中央集権体制の確立という空前の大変革を実行するに当たっての最大の障害は何であろう。
それは個性的なトップ(藩主の父)島津久光(注9)を戴く薩摩藩、戊辰政変を主導した長州藩、そして同じように戊辰政変に功績があった土佐・肥前など4つの大藩の存在であることは、今となれば誰しも分かることであるが、当時はそこまで見通せる人はまずいなかったであろう。
「岩手人の見た戊辰戦争」でも書いたが、個人として執着する既得権益を持たず、したがってその影響による既成概念にとらわれないが故に、先見力と戦略眼という点ではとくに優れたものを持っていた、いわゆる維新の功臣たちには、そのことが見えていたのではないだろうか。
そのため自分たちが考えた将来の本格的大変革に備え、戊辰政変に功績あった与党大大名と言えども、それに抵抗することは許されないという自分たちの決意を示すため、その見せしめとして、封建体制の象徴とも言える会津藩や、旧制に固執する東北諸藩の覆滅を意図したのではないかということである。
事実、明治になってからの廃藩置県・徴兵令・廃刀令などの一連の改革に抵抗し、維新の功臣たちを手こずらせたのは、戊辰戦争の勝者である前記の西南諸藩とその藩士たちであり、自力で封建門閥制度を克服し権力に到達した彼らの判断は、正しかったと思うのである。
もし仙台藩・会津藩などを含めた東北諸藩が無傷で存在していたとすれば、廃藩置県をはじめ武士たちに支給していた秩禄の廃止に至る一連の改革が、歴史上の事実のようにすんなりと実施できたかは大いに疑問である。
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【注8】高杉晋作
長州藩中級藩士の出である。幕末最強の軍隊と言われる長州藩奇兵隊の創設者である。第1次長州戦後、クーデターにより長州藩政を掌握し、藩政・軍制改革を進めた。
近代戦(当時の)では、集団戦闘訓練を受けず銃を扱えない中・上級武士は役に立たないことを見抜き、それまでの固定観念を打破し、徴募庶民軍である奇兵隊を組織した。
庶民の潜在能力とその利用価値は分かっていたが、武士以外の庶民階級に対しとくに理解あるいは同情心は持っていなかったようである。
改革者というイメージから革新的思想の持ち主という印象があるが、実際は逆で身分差別論者であった。
東西・官軍賊軍という立場を離れ、同じ長州藩の大村益次郎と並び戊辰期軍制改革者として特筆すべき存在である。
【注9】島津久光
薩摩藩第28代藩主島津斉彬の弟。斉彬亡き後第29代藩主忠義の実父として薩摩藩の実権を掌握した。
徳川幕府に代わる新体制をめぐっての紛糾には何度か調停役として登場している。
関係した事件として、自藩過激派を誅殺した京都寺田屋事件、鹿児島湾戦争の原因となったイギリス人殺傷事件(生麦事件)などが有名である。
明治政府の打ち出した諸改革には終始反対であったが、最終的には従一位公爵に昇叙している。
薩摩藩出身の両傑西郷隆盛と大久保利通は、どちらも若い時からその知遇を得ているが、この人との付き合いでは大久保の無難さが印象的である。
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