2007年 2月 14日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉7 伊藤幸子 木場に雪ふる

 朝の木場雪深ければフォークリフトの轍(わだち)の筋を踏みて往き来す
  中川志げ子
 
  私は本を読み始めるとき、しおりをいっぱい用意する。それがゆっさりとはさまって、平成五年刊歌集「木置場の音」が書架にある。作者は三重県の十五代続く地主さんの息女で、製材業を営む家に嫁がれ、古希をすぎた今も家業を切り盛りしておられる。

  「わが屋号衿に染めぬきし法被着て風強き木場の焼却炉守る」「製材の大鋸粉(おがこ)が常に降るからに日に幾度も休憩所掃く」また「製材機の修繕を終へ夜おそく退(ひ)きゆく人にタバコを包む」とも詠まれ、経営者の心づかいがうかがわれる。「ふと思へば来る日来る日の繁雑さ木置場ゆ戻るときも小走る」その広い木置場に、「夜の木場の丸太の下に迷ふゆゑ二匹の仔犬に鈴をつけやる」そして「木置場に張りし氷にころびたるさまを親子の猫に見らるる」。

  読むほどに、たちまち七首も抽出してみたが、広大な工場の敷地にくり広げられる作業風景が見えて、壮年の「専務」さんの働きに喝采(かっさい)。建材もチップも生産、「津と阿波の境の峠に来かかりてわが締め直すトラックの荷綱」。

  伊賀阿波の山中には芭蕉の「猿蓑(みの)」の句碑も立つ。そしてこの方に賀状をいただく時、「三重県一志郡三雲町」の地名に、いにしえの「斎宮群行」のルートを思い、私の想像力はふくらむばかり。平安の昔、帝(みかど)が代わるたびに伊勢神宮に仕える斎宮が交代。京の野宮(ののみや)から伊勢内宮まで五泊六日の「群行」があり、「壱志」は第一の頓宮(とんきゅう)であった。

  しかし平成の大合併で今は「松阪市久米町」に統一されてしまった。伊勢に近い順に壱志、鈴鹿、垂水、甲賀、近江国府と辿(たど)る斎宮の旅路は、空を被(おお)いつくす原生林のもと、どんな情景だったのだろうか。

  現在国道一号線はこの旧東海道よりはるか西側を迂(う)回して、二本の道路とトンネルで鈴鹿峠を一気に越えると教わった。「まぼろしの伊勢斎宮の跡と誌(しる)す黒き石碑にうすら日しづか」の歌にみえるように、千有余年のまぼろしを今に歴史の里に暮らす人。「休憩の人らに甘酒つぎてをり木場に雪ふる春立つ午後を」と、きょうもほがらかな談笑の声が聞こえてくるようだ。


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