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寂光の
濱のましろき巌にして
ひとりひとでを見つめゐるひと。
〔現代語訳〕寂光ヶ浜の真っ白な岩で、一人ヒトデを見つめている人よ。
〔評釈〕「大正六年七月より」〔「歌稿〔B〕」〕百十一首中の二十四首目の「563歌」。結句は、「歌稿〔A〕」では「みつめたるひと」。「現代語訳」においては、「寂光の」を、一応は、伝記的事実との対応を考慮して、「寂光ヶ浜の」としたが、「寂光」自体は、永遠の浄土たる「常寂光土」の略語でもあるから、むしろ、現実世界の「寂光ヶ浜」を消して、「常寂光土」とした方が適切である面をも含むであろう。少なくとも、現実世界と仏教的世界との統合は、絶対に欠かすことのできない条件となろう。「寂光の濱(はま)」の「ましろき巌(いわお)」と来たら、そこに置くべき人は、(実際にそうであったどうかを越えて)「一人」でなくてはならないし、「見つめる」ものは「ヒトデ」でなければならないのだ。
(岩手大学教授)
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