■ 〈続・岩手人の見た戊辰戦争〉9 和井内和夫 世良修蔵暗殺事件
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第二章 世良修蔵暗殺事件
東の見方と西の見方
東北戊辰戦争の契機の一つと言われていることに、長州藩出身で九条鎮撫総督付きの武家参謀であった世良修蔵が、仙台藩士に暗殺された事件がある。
幕末の動乱や東北の戊辰戦争について知るための必読の書となると、復古記など政府の企画により刊行されたものや学者の研究論文などを別にすると、仙台戊辰史(注1)と防長回天史(注2)の二つを挙げる人が多いであろう。ただし、特にお断りしておくが会津を除いての話である。
両書の出版はどちらも古く、仙台戊辰史は明治44年で、防長回天史の方は初版第1巻が出たのは仙台戊辰史とそう違わないが、全12巻を逐年刊行したので最後の第12巻が出たのは大正10年である。またそれまで発刊済みのものも逐次改訂版を出しているので文字通り大著で、中身の資料的価値も高い。
かたや戊辰戦争における敗者仙台藩の立場や動向を中心に書いたものであり、かたや長州藩の波瀾万丈ともいうべき天保期から明治初期にかけての歴史である。
仙台戊辰史の方の著者は仙台出身ではないが仙台に関係のある藤原相之助、防長回天史の方は編纂(へんさん)者である末松謙澄は九州小倉の人であるが、そもそもが長州藩毛利家の歴史編纂に始まったものであり、主として長州藩あるいは毛利家の資料によっているので、戊辰動乱期の同じ事件を取り上げた部分でも、事件に対する見方や判断が異なっているのは当然である。
しかし藤原相之助・末松謙澄の両氏とも、客観性の維持を意識していることが、その文面から感じられる。
その中で、特に意見が分かれているのが、奥羽鎮撫総督府の参謀で、東北戊辰戦争初期、仙台藩士に暗殺された長州出身の世良修蔵に対する評価と、暗殺された理由やそこに至る経緯である。その部分はほかと違い特に目立っている。
仙台戊辰史ではその人格・識見・品性などをけなしており、東北を戦乱に巻き込んだのは世良の所為(せい)であったかのような書き方で、また世良が暗殺されたのは彼自身が招いたことであるとしている。
一方、防長回天史ではその3点ともまったく逆の見方である。
東北では秋田を除いては仙台戊辰史の見方が大方の支持を得ているようであるが(東北では防長回天史はあまり読まれていないせいもある)、そのすべてが正しいと言えるであろうか。
そうかといって、防長回天史に書かれているように、奥羽鎮撫総督府参謀として東北入り以来、会津藩武力討伐に固執していたと見られる世良が、暗殺される直前になって、仙台・米沢両藩をはじめとする東北諸藩の嘆願に応え、それまでの方針とかたくなな姿勢を変え、会津藩宥恕(ゆうじょ)に傾いていたということも信じ難いのである。
◇ ◇
【注1】仙台戊辰史
著者は藤原相之助。秋田出身、仙台河北新報の主筆を勤めた。戊辰戦争に関する資料を収集研究し、明治41年から1年間にわたり東北新聞に連載したものを、明治44年に出版した。
【注2】防長回天史 全13巻
編纂は末松謙澄。小倉の人、初代総理大臣伊藤博文の女婿である。明治30年、毛利家の依頼により、戊辰期を中心とした毛利家関係の歴史編纂に携わった。全巻出版まで13年の歳月を費やしている。
仙台戊辰史は個人の著作であるが、防長回天史は末松を中心としたグループによりまとめられた。ただし、毛利家が途中手を引いたので、この大著の編纂発行の功績は末松個人のものである。
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