ひとり来て丘畑打てり野を山を見放(さ)けつつ寂し自由といふは
佐野四郎
ことし、新しい友を得た。あて名「山梨県北巨摩郡」と書くうちに、むかし大変よくしていただいた歌人のことを思い出し、古びた歌集をひもといた。「山梨県南巨摩郡富沢町万沢」の佐野四郎先生。私は地図を見るのが好きで、地名駅名などにすぐ反応する。
昭和47年3月10日発行、作者第三歌集「白雲集」は坂口安吾の実兄、坂口献吉氏の「白雲」の色紙を巻頭に掲げる格調高い本である。
そのころ二十代だった私に「奥峡は檀香梅の黄に匂ひ咲き澄むころかその一木知る」ととびらに書いてくださって、さらに栞(しおり)に「だんこうばい」「きに」と、変体がなにもルビが附されてある。当時先生は古稀(こき)をこえておられ、下手なひよこの作品にも目をかけてくださった。
「三人目をみごもる夏も逝かむとすあをき扇風機の羽を拭きつつ」の作品を出したときはすぐお葉書が届き「双児ならまだしも、三ツ児をみごもっておられるか…」と気遣ってくださる文面に飛び上がって驚いた。そしてお返事をさし上げる前に折り返し、「昨日は失礼。三人目を三人児と読んで、これは実に稀有(けう)なことと感じ入り認(したた)めました。小生近ごろ目がかすんできていて失礼しました」と書かれてある。はがきが10円、封書(定型)が20円だったころのことである。
子育てに追われた二十代三十代のころは一時間でも自由な時間が欲しいと願っていた。そしてみんな巣立っていった今、富士山麓(ろく)に畑を打つ老歌人の「自由」の意味がよくわかる。「晩年にとどむる時間刃のごとく思へど心満つる日ぞなき」と並べて読んでみると、自由とは、憧れていてこそ華、得てみればなんとさびしく、しかも刃のように鋭く迫ってくるではないか。邂逅(かいこう)の友Tさんに、私は甲斐(かい)の古武士の面影をなぞり「自由の寂しさ」を書き送った。 |