2007年 3月 8日 (木) 

       

■  〈あのころぼくはバンドマンだった〉41 北島貞紀 ジャズスクール1

 ■ 1979年

  道頓堀からひとつ南に入った路地の雑居ビルの2階に、それはあった。隣がピンクサロン、まわりは飲食店やスナックがひしめき合って、いかにもミナミらしい統一感のなさ、猥雑(わいざつ)さが不思議なバランスをとっている、そんな雑居ビルだった。

  「ジャズピアノ、ボーカル教室、生徒募集。BIG JIM」3行の新聞広告を見つけて、すぐさま習いに行こうと決めた。ピアノを始めたときに、ひと月だけ教室に行って、そこで出会った赤松先生を生涯の師と決めたのだが、師は「もう来んでいいから、自分でやれ」のご宣託。音楽をまじめにやってみようと思い立ってから、ニューヨークに行き、さてこれからどうしようかというころだった。

  「こんにちは」

  「やぁ、いらっしゃい」

  小柄だが、がっちりした体躯(たいく)で、四角い顔にあごひげを蓄えた川井先生は、愛想よく迎えてくれた。

  20坪くらいの教室には、1台のアップライトのピアノがあり、あとはベンチ椅子(いす)やテーブルが並んでいる。ピアノの横はカウンターになっていて、壁にはウイスキーのボトルが並んでいる。これって、スナックのあと?

  「北島君は、ピアノですか」

  「はい。よろしくお願いします」

  「うちは、ジャズの神髄を教えます。基本はリズム、ジャズは3連(サンレン)につきます。いつも体に3連を感じる、ルルタ、ルルタ、ルルタ、ルルタです」

  まぁ、それは納得がいく。

  「とりあえず、ピアノもボーカルも1曲目の課題は、サニーサイドです」

  「わかりました」

  「この曲は知ってますか」

  「はい、わかります」

  「それじゃ、弾いてみてくれますか?」

  実は「オン ザ サニーサイド オブ ザ ストリート」は、僕のレパートリーのひとつだった。アドリブを2コーラス入れて弾いた。

  「ブラボー、ブラボー。あなた、素人じゃないですね」

  「新地で、トリオでやってます」

  「うーん。ものは相談だが、ここで教えてくれんかね」

  「えっ?」

  「最近、生徒が増えて、一人では手がまわらんようになってね」

  (ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/

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