■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉41 北島貞紀 ジャズスクール1
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■ 1979年
道頓堀からひとつ南に入った路地の雑居ビルの2階に、それはあった。隣がピンクサロン、まわりは飲食店やスナックがひしめき合って、いかにもミナミらしい統一感のなさ、猥雑(わいざつ)さが不思議なバランスをとっている、そんな雑居ビルだった。
「ジャズピアノ、ボーカル教室、生徒募集。BIG JIM」3行の新聞広告を見つけて、すぐさま習いに行こうと決めた。ピアノを始めたときに、ひと月だけ教室に行って、そこで出会った赤松先生を生涯の師と決めたのだが、師は「もう来んでいいから、自分でやれ」のご宣託。音楽をまじめにやってみようと思い立ってから、ニューヨークに行き、さてこれからどうしようかというころだった。
「こんにちは」
「やぁ、いらっしゃい」
小柄だが、がっちりした体躯(たいく)で、四角い顔にあごひげを蓄えた川井先生は、愛想よく迎えてくれた。
20坪くらいの教室には、1台のアップライトのピアノがあり、あとはベンチ椅子(いす)やテーブルが並んでいる。ピアノの横はカウンターになっていて、壁にはウイスキーのボトルが並んでいる。これって、スナックのあと?
「北島君は、ピアノですか」
「はい。よろしくお願いします」
「うちは、ジャズの神髄を教えます。基本はリズム、ジャズは3連(サンレン)につきます。いつも体に3連を感じる、ルルタ、ルルタ、ルルタ、ルルタです」
まぁ、それは納得がいく。
「とりあえず、ピアノもボーカルも1曲目の課題は、サニーサイドです」
「わかりました」
「この曲は知ってますか」
「はい、わかります」
「それじゃ、弾いてみてくれますか?」
実は「オン ザ サニーサイド オブ ザ ストリート」は、僕のレパートリーのひとつだった。アドリブを2コーラス入れて弾いた。
「ブラボー、ブラボー。あなた、素人じゃないですね」
「新地で、トリオでやってます」
「うーん。ものは相談だが、ここで教えてくれんかね」
「えっ?」
「最近、生徒が増えて、一人では手がまわらんようになってね」
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/ |
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