いつぱいに
花粉をになひわが四つの
百合をめぐりぬ碧目のこばち
〔現代語訳〕(体)いっぱいに花粉を背負い、私の四本の百合(の周り)を廻(まわ)っている、碧(あお)い目の小さな蜂(はち)よ。
〔評釈〕「大正六年七月より」〔「歌稿〔B〕」〕百十一首中の五十五首目の「589歌」で、作品末尾の句点はない。初句は、「歌稿〔A〕」では、「いつばいに」となっていた。「蜂」の生態などに及ぶことは、評者の手に余ることだがら、せめて漢字に及べば、同じ「あお」でも、「青」は「丹」(染料を採る石)と「生」(草などが茂る)から成り、「碧」は、「玉」と「白」と「石」とから成る。話者は、体中が花粉でいっぱいの碧色の目をした小さな蜂が、四本の百合の周りを廻る様子を、好意の目をもって眺めているのである。(「わが……百合」は、その証拠にして賢治好みの表現の一つでもある。)「わが四つの百合」となると、あの「ガドルフの百合」や「四又の百合」を想像する各位もあろう。(岩手大学特任教授)
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