■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉45 北島貞紀 ラウンジ赤松
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■1980年
「キタジマ君、赤松や」。師匠から電話が入った。今までこっちから連絡することはあっても師匠から電話が来ることはなかった。
「どないしました」
「今月で、ルーモア(ハウス)をあがるんやけどな」
「えぇ、やめはるんですか?また、ジャズにもどるんですね」
「いや、ちょっと考えることがあってな」
「はぁ」
「それでな、フェンダーローズな、もう使わんさかい、君にゆずるわ」
フェンダーローズは、エレクトリックピアノの名器と呼ばれて、独特の音色で人気が高い。値段も相当張るはずだ。まさかタダということはないだろう。
「なんぼですか?」
「エフジュウ(F10=40万)やな」。師匠は軽く言う。
「エフジュウですか?」僕は、内心の動揺を抑えながら言った。
「そうや、安いやろ」
「はぁ」
「まぁ、何回払いでもいいから、今月末に取りに来てくれ」
確か、定価で60万位だと思ったが、それが高いか安いかは考えないことにした。師匠が言うならしょうがない。(でも、高いよな!)
それから1月後、師匠はミナミに「ラウンジ赤松」を開店した。開店の数日前に店をのぞいた。30坪くらいの細長い店で、セミグランドピアノのアールに合わせてカウンターが造られている。ピアノを囲んでグラスを傾けるという趣向だ。
ラウンジ赤松の開店の翌日、新地の仕事を終えてからケン坊と店にかけつけた。店の前まで来ると、下手な演歌が聞こえてくる。ウソだろうと思いながら、ドアを開けた。
「いらっしゃいませ!」と2、3人から声が上がった。
ざわついた店の中で、真っ先にピアノを見ると、師匠がニコニコしながら客のウタバン(伴奏)をしてるのだった。関西屈指のジャズピアニストと呼ばれた師匠が、こともあろうに客のウタバン、しかもド演歌とは。僕は、ちょっと裏切られた気がした。
「さすが、赤松さんや。客のウタバンでもきっちりと弾いてはる」。ケン坊が言う。
お前は演歌が好きやからなと毒づきつつ冷静に聴くと、フレーズのキレが良くて、タッチがただ者ではない。
「しかも、お客さんを喜ばしてはる」
そのとき、師匠からよく言われた「僕らの音楽は、しょせん、刺し身のツマや」という言葉を思い出した。師匠は、音楽の偉大さ、深遠さを理解するとともに、職業としての音楽の限界を見切っている。「大人の音楽観」を見たような気がした。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/
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