県知事に当選した達増拓也氏は、高校生のころから政治家を志し、学生生活のさまざまな場面でリーダーシップを取っていたという。盛岡一高時代の「応援歌練習ボイコット」などのエピソードが、今も恩師や同窓生の語りぐさになっている。国会でもの申す達増氏にそのころの姿を重ね、知事として県政の改革に期待する声が聞かれた。
岩大附属中学時代の恩師の滝沢村の吉川健次さん(60)は「生徒会長をやったし、一生懸命だった。学校、クラス、友達のことを担任以上に考えていた。よくできたがガリガリやるタイプではなく勉強する姿勢が見えた」と回想する。「将来は政界に行って日本をリードする人になると思っていた。岩手のリーダーとして期待している」と祝意を表した。
盛岡一高時代の恩師の盛岡市の中里長助さん(69)は「初め達増君は人をかき分けても発言するタイプではなかった。1年生の後半からいろんなことを発言するようになり、だんだん頭角を表した。盛岡の先人に自分の行く末を感じていたようで、特に新渡戸稲造に関心があった。2、3年のころからはっきり政治家になりたいと言うようになった。今あるのは偶然ではない。外務省に入っても心に思っていたようで、小さいころの夢をあれほど実現してきた子は珍しい」と回想する。
高校では生徒会役員として活躍し、米国視察に派遣されるなど当時から国際派だった。中里さんは「あまりバンカラ過ぎると、達増君が応援団を改革しようとしたことがあった。やり方を変えたらとか、団長とかなり話し合っていたのを覚えている」と話す。
高校時代に同じソフトテニス部で活動した盛岡市の野頭泰行さん(43)は、「途中でやめることなく、ずっと運動部をやっていて体力があった。そのときからこういう世界を見据えていたような気がする。政治家になるとかコスモポリタン的な構想をしゃべっていた。応援歌練習ボイコット事件など校内行事で衝突したことがあった」と懐かしむ。
盛岡市の同窓の及川英俊さん(42)は「達増君で一番印象に残っているのは応援歌練習でのこと。これはおかしいと思ったら正義感を行動に移すところなどが印象づけられた。応援団が怒って応援歌練習が中断したのでは。国会での発言を見て思い出すことがある」と、多くが異口同音に話す。知事としては「県庁職員とも大いにやりあってほしい。今あるような既得権を、彼なりのやり方で独自に改革してほしい」と期待していた。 |