ふりがなのごとく寄り添ふわが妻と春爛漫のさくらみちゆく
布施隆三郎
「どこかに故郷の香りをのせて」上野駅に到着する就職列車、そのころひとり下り列車で青森駅に降り立った人がいた。江戸っ子で大学出たての二枚目英語教師、石坂洋次郎の世界だ。しかしあまりのカルチャーショックに「ハンケチと言ふ吾(あ)の津軽の子ら笑ふ深川育ちはハンカチじゃねえ」と切り返し、青森の四季になじんでいった。
「先生と初めて呼んでくれる子ら弟のやうな妹のやうな」「山の子に山を教はり海の子に海を学びし教師の初め」そうして気がつけば「青森に四半世紀をわが暮らし江戸っ子面(づら)もさびつきにけり」「教へ子の子供と出会ふ教室に昨日さながら若き日ゆらぐ」というような歳月の嵩(かさ)に驚きもする。
昨年十二月、十年ぶりに氏の第二歌集「金砂郷」が出版された。昔は山中から砂金がとれたという茨城県久慈郡金砂郷町は母上の故郷であるという。幼く死別、さらに東京大空襲で身内も散り散りになるといった悲運にさらされる。そして青森。何がそうまで青森に引きつけたのか、二冊の歌集でもまだその謎は不明だが、はや四十年以上も北の大地で暮らして来られた。
「ふりがなのごとく寄り添う」妻を得て、還暦近く男児に恵まれ、まさに春爛漫(らんまん)といえる日々。ふりがなのような妻、女性側からは何とたとえればいいのだろう。やがて「定年だ昨日はきのふ明日はあすここしばらくはただ無重力」そして今、「愛ちゃんの学校ですねと羨望(せんぼう)のひと目集まる非常勤われに」という卓球の福原愛ちゃんのいた高校につとめておられる。何度か甲子園球場のスタンドにも座った。ひたすら走り続けてきたけれど「これからは歩けよメロス死者までの距離はそれほどないかもしれぬ」と首肯。「隆ちゃんはなまってきたよと同級生あたりまへだよわれは津軽衆」と、堂々と答える津軽偏の漢(おとこ)になった。
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