2007年 4月 11日 (水) 

       

■  〈夜空に夢見る星めぐり〉179 八木淳一郎 星の世界から

 まだ大学生だったころのO先生は、ある日、K教授に集金の仕事を頼まれたのでした。「行けばわかるから」。そう言われて気軽に出かけたものの、行く先々で会社の人に「はて、何も聞いてないけど…」時は昭和29年。戦後の貧しさからやっと立ち直りかけてきたころのことです。

  寄付金をもとに市民の天文台を作ろう、とのみんなの願いは頓挫したかに思われました。しかし東北のS市は、そんな時代だからこそ子どもたちを育(はぐく)み、市民に夢と安らぎを持ってもらおう、と寄付金のことはともかく、天文台の建設にゴーサインを出したのでした。おざなりではない、さまざまな分野で行政が市民をバックアップする姿が、思えば、今日の発展につながっているのかもしれません。

  O先生は、学者への道から方向転換し、出来たばかりの市民天文台に他の3人と一緒に勤めることにしました。街の中心の公園の一角にある天文台は毎晩のように開けられていました。子どもたち、小学生も中学生も高校生も、連れだってやってきます。晴れていれば星を見るのは当然ですが、たとえ雨の日や曇った日でも宿題や勉強道具を持ってやってきました。O先生は言いました。「いつ晴れるかもしれないし、せっかくわからないことを調べに来ても、天文台がしまっていたりしたら夢をつみとってしまうようなものだからね」。天文台にいると、たまたま訪れる全国の大学の先生たちや星の観測や研究に詳しい人たちの話が聞けるのもうれしいことでした。天文台の人たちは、少し慣れてきた人には、たとえ小学生でも身体の何倍もある大きな望遠鏡を使わせました。「一番大切な財産は人。物は使われることに価値があるのだし、壊れたら直せばいいのだから」。学校も就職先もS市を選び定住する訳が、こんなところにもあったようです。

  天文台には後になってプラネタリウムが併設されました。「両方あってはじめて星のことが理解しやすくなるんだね。夫婦みたいなものかな」いみじくも台員の一人がそう言いました。

  O先生はあるとき病に倒れ、小康を得るとすぐに天文台での生活に戻り、76歳の生涯を閉じるまで続けました。北国のアマチュア天文家が発見した小惑星にはO先生の名前がついています。O先生は星の世界からみんなを見守ってくれているような気がします。

  こうして50年以上にわたって市民に愛されてきた天文台が、今また大きく生まれ変わろうとしています。
(盛岡天文同好会会員)

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