■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉46 北島貞紀 合歓の郷ツアー(1)
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■ 1981年
「ケン坊、何かパァーと楽しいことやりたいなぁ」
「そうやねぇ」
「もう夏やし、お祭り騒ぎがしたいな」
「それやったら、納涼ライブパーティーは、どないやろ?」
「うーん、納涼ライブか。それやったら、やっぱり野外やな」
「野外いうたら、場所が問題や」
「おう、それやったら、いっそのことライブツアーにして、客ごとどっかにゆくっていうのはどうやろ?」
「キタヤン、それいいわ!」
この間まで、事務機屋の課長をやっていたケン坊は、この手の手配は、見事だった。すぐにコネのあったツーリスト会社のミユキちゃんとかつての部下を連れてきた。
「このメンバーが、実行委員会や。バスをチャーターして行きまひょ」
「場所はどこですか?」笑くぼがチャーミングなミユキちゃんが、職業柄の質問をする。
「それやけどな、ぴったりなとこがあるんや。伊勢の合歓(ねむ)の郷や」
「ネムノサト?」
「あぁ、ヤマハで経営している施設や。野外ステージもあるし」
数年前、ぼくは「Jazz in 合歓の郷」を見に行った。合歓の郷は、三重県志摩半島の人里離れた山の中にある。野外ホールをはじめとして、レコーディングルームや練習スタジオがいくつもあり宿泊施設もある。これがすべてヤマハの直営だ。
2日間にわたってオールナイトで行われた野外コンサートには、渡辺貞夫をはじめとして、日本のトップアーティストが何組も出演した。その中でのお気に入りは、本田竹広と峰厚介の双頭コンボ「ネイティブサン」だった。特に顎鬚(あごひげ)をはやし、サングラスをかけた峰さんにはしびれた。
出番が終わって、芝生でフリスビーに興じる峰さんを見つけて、その前に走りよって、彼とぼくが並ぶところをスナップ風に撮ってもらって大いにはしゃいだ。
明け方、空が白みかけたころ、突然山下洋輔がステージに上がりバラードを弾き出した。肘(ひじ)打ちまでやる過激なトリオのときの演奏とはうってかわって、きわめて静謐(せいひつ)で、しかも彼独特のスケール(音階)とコードを駆使した、スリリングで幻想的な世界がうまれた。(それは、プログラムにない出番で、うれしいハプニングだった)
客席は、すべて芝生の上で、思い思いのスタイルでコンサートを楽しんだ。まさに「真夏の夜の夢」の世界だった。そしてもうひとつぼくは夢をみたのだった。
「いつか、自分もこのステージに立ちたい」
虹の彼方のもうひとつ向こうにあるような夢だった。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/
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