ヨーロッパは一つだという考え方が古くからあった。フランスとドイツとは過去に十数回戦争をしたことがある。イギリスはどちらか弱い方に味方して、自国の安全を保っていたからだ。だが今から1200年前にカール大帝のころ、フランスとドイツは一つの国だった。その後、後継者たちは三つの国に分割し、西はフランス、東はドイツの中となる。しかしライン川とローヌ川に挟まれた南北の一帯はロータルギという国になったが、西と東から領土を奪われ、その後分割されて、オランダ、ベルギー、スイス、北イタリアなどとなった。
シューマン首相の提案
フランスのシューマン首相は、第一次大戦でドイツ軍の陸軍少尉、第二次大戦ではフランス軍の中尉として敵味方逆転して戦った。アルザス人の宿命だった。戦後フランスの国会議員、外相、首相となり、ドイツと仲なおりする必要を痛感した。西ドイツのアデナウアー首相も同じ意見だった。
それまではドイツは石炭が豊富だが、鉄鉱が不足し、フランスは鉄鉱とアルミが十分あるが、石炭が不足。ベルギーは石炭が豊富だが、鉱脈が北フランスとつながっていた。オランダとルクセンブルクは製鉄の国。それに資源の少ないが労働力が豊富なイタリアが加わって、欧州石炭鉄鋼共通市場(ECC)が1951年に6カ国で結成された。
イギリスの加盟までの波紋
次にイギリスは旧植民地が次々と独立し、イギリス連邦がくずれ、ヨーロッパ大陸に目を向けざるを得なかった。1959年にフランスのドゴール大統領に加盟を拒否された。いろいろな理由があったはずだが、6カ国がフランス語を共通語にしていたのに、英語が加わることが反対の一つの理由だった。
しかし1973年にやっとイギリスも、アイルランドとデンマークをひき連れて、ECCを略したEC(ヨーロッパ共同体)に加盟した。
欧州最後のファシスト政権のフランコ総統が1975年に死去し、王政復古したスペインも、1986年にポルトガルと共に加入を果たした。
ドイツ東西の統一とびろうど革命
1989年にベルリンの壁が崩壊し、ドイツはEC最大の国になった。もっともドイツとしては貧しい東ドイツを統合するのは、豊かな西ドイツとしては喜ばしいばかりではなかった。
1992年にECはEU(ヨーロッパ共同体)と改称。1995年にはオーストリア、スウェーデン、フィンランド、ギリシャが加わった。
2004年にはさらに1カ国が加盟し、そのうち7カ国は旧東欧国、元共産圏の国々、びろうどの革命で無暴力で共産主義を放棄した国々だった。今年もルーマニアとブルガリアも加盟して27カ国になる。
そのままでは烏合(うごう)の衆となり、本来全員一致で決めていたEUがいずれは機能しなくなるため、ヨーロッパ憲法が必要。
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