自動車を運転しつつ大声で唄ひをり今はひとりの世界
川辺古一
短歌の世界では自動車を運転する歌などあまり見かけない。これほどの車社会にもかかわらず、団塊世代あたりを境界に、高齢者が多いせいであろう。私も、中年で免許を取ったと言ったらこの作者に「ヤレヤレ、何人殺されるやら」と笑われたものだ。「ぼくは太って、バックのとき、体ねじられないんだよ」とも言われたが、壮年のころは「中央道ひたすら走り風の吹く朝の諏訪湖で顔を洗ひき」というようなエネルギッシュな歌も見られた。
大正15年生まれの氏の、結婚の時のエピソードがおもしろい。昭和28年、宮柊二夫妻の媒酌で結婚、その折先生の詠まれた歌に「娶(めと)らんとする青年が欲しと言ひ贈らんと言ひ釜買ひに出づ」があり、それは川辺青年のことだという。戦後の物資不足のころの台所に、先生から贈られたピカピカのつば釜(電気釜ではなかった)が鎮座している図が眩(まぶ)しい。
川崎市生まれの氏は終生生地を離れず、昭和60年定年まで市職員の務めを果たされた。20年、白秋の「多磨」入会、24年宮柊二より「古一」のペンネームを貰(もら)う。以来「コスモス」の指導者として歌集を8冊、評論集も多く出版、また表千家の茶人としても知られ、日本棋院初段も得られて多彩な方だった。
一方では「聴診器わが胸にあて医師言へり平均寿命よく越えたりと」に見られるように若いころ病んだ肋(ろく)膜炎があとを引き心臓発作に悩まされ「わが余命長くはないといふうはさ妙な気持で人づてに聞く」といった場面も描かれた。
昨年3月に頂いた第8歌集「溪声(けいせい)」は巻末に「盛装し駅前広場に人を待つ若人の中にわがまぎれゆく」を据える。あたかもひとつのドラマの「つづき」のように、人ごみの中にまぎれ去る人影を見失うまいと思っていた矢先、氏の訃報が届いた。桜万朶(ばんだ)の春さなか、1年前の今ごろだった−。
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