赭々と
よどめる鐡の澱の上に
さびしさとまり 風來れど去らず。
〔現代語訳〕赤々と沈殿して動かない鉄ゼルの上に寂しさが止まり、風が来ても去らないのです。
〔評釈〕「大正六年七月より」〔「歌稿〔B〕」〕百十一首中の八十二首目の「615歌」。「歌稿〔A〕」では、結句の一字あけはない。また、第三句は「歌稿〔A〕」からの「ゲルの上に」を「澱」と推敲(すいこう)しているが、「現代語訳」では、「ゲル(ゼル)」を生かし「鉄ゼル」を採った。「赭」は「赤(火+大=炎の色)」と「〓(土)」とから成る漢字で「赤土」を指す。「鉄ゼルとは水酸化鉄コロイド溶液の固化したものか」〔『新宮澤賢治語彙辞典』〕。「さびしさ」が「鐡の澱の上」に「とまる」というのは、結合比喩(ゆ)だが、こうした感覚は極めて賢治的感覚。この「さびしさ」を「風來れど去らず」とするのも、同じ感覚の延長線上にあるものだろうが、結句の字余りについての評価は分かれよう。
(岩手大学特任教授)
|