■ 〈胡堂の父からの手紙〉110 八重嶋勲 手紙は詳細で実に面白い
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■162巻紙 明治37年11月22日付
宛 東京市本郷区第一高等学校寄宿舎中
寮二番
発 岩手県紫波郡彦部村大巻
単衣今差立候、小包ニテ
愈無事勤学罷在候由大慶ニ存候、
当方家族ハ勿論親類迄一同無事消光罷在候、曽テ話合アリタル単衣出来致置候ニ付不日送付スル事ニ候、
北海道ニ在営致居候三浦柏籌外五名去ル十九日当地通行大阪ニ向ケ出発致候、此三十日ノ作山定三モ青森ニ入営スル事、寺田賢治ハ十一月三十日東京着近衛師團入営スル筈ニ候、其他彦部星山犬吠森等ニ青森入営三名都合計五名出発ニ候、
先頃送付候手紙詳細ナルカ故石杜冨蔵即チ伯父カ貸呉レ等之事ニテ持参致シ何時モ手紙ハ学校之景況事情等詳細ナルハ実ニ面白ク存候、高等学校生徒ニ種ゝ事情アルヲ聞キ、仮令ハ猪狩ノ如キ村上ノ如キ他人ノ事ト雖(ト)モ其父兄ニシテ嘸(さぞ)残念事ト存候、大川源兵衛氏ノ如キモ親父猶又病気再発ニテ臥床シ居ル由、稲村家政ノ不如意殊ニ母親(継母)父親ニ蜜(密)シ分限不相應借金ヲ拵ヘ加之弐百円斗(計)リ携帯シテ情夫ヲ拵ヘ逃走セシ由、学生名不明、善中泣キ暮シ居ル由実ニ気之毒之至リニ候、
目下ノ況情ハ仮令成蹟(績)良好ニシテ大学卒業スルモ手續疎キモノハ立身六ツケ敷様一般ニ知スル処今ヨリ上位ノ良友ヲ求メ又ハ社會ニ名アル士ニ交際シ居ルモ必用ナラント被思候、
彦部ノ佐藤長四郎ノ如キ今回三等獣医トナリ正八位ニ不日任名(命)アルヤノ風説有之、今又佐藤善左衛門一年志願兵トシテ来ル廿五日名古屋ニ出立スル事ニ相成居候、敢テ学資ヲ要セスシテ如斯立身スル見ル時ハ私カニ浦山敷被思候、
今手二坐□ナキ場合不日金壱円五十銭と単衣差立可致候、
キクヱニモ手紙書ク事テ折角相シ(タ)ゝメ居ルモ何分ハヂ(ズ)カシク思フ様子相見得候ニ付何分諮問体ノ手紙折節葉書等可遣候、右用事旁々余者後便ト申残ス、早々
十一月廿二日 野村長四郎
長一殿
【解説】「(前書あり)単衣今差立候、(小包にて)
いよいよ無事勤学しているとのこと大慶である。
当方家族はもちろん親類一同無事暮らしている。かつて話のあった単衣が出来ているのでそのうちに送付する。
北海道に在営している三浦柏籌外5名は去る19日、当地を通過して大阪に向け出発した。この30日に作山定三も青森に入営する。寺田賢治は11月30日、東京着で近衛師団に入営するはずである。その他、彦部、星山、犬吠森等から青森に入営3名、都合計5名出発する。
先頃送付された手紙が詳細であったため、石杜冨蔵即ち伯父が貸してくれなどといって持っていった。いつも手紙は学校の様子等詳細であるので実に面白く思っている。高等学校生徒にいろいろ事情あるを聞き、たとえば猪狩の如き、村上の如き、他人の事といえどもその父兄はさぞ残念なことと思う。大川源兵衛氏の如きも、親父がまた病気が再発して臥床しているとのこと。稲村は、家計の不如意で、ことに母親(継母)は、父親に秘密で分不相応な借金をこしらえ、加えて200円ばかり持って情夫と逃走したとのこと。学生の名は不明であるが、泣き暮らしているとのことで、実に気の毒である。
目下の状況は、たとえ成績が良好で大学を卒業しても手づるがない者は立身が難しいようである。一般的に知るところでは、今から上位の良友を求め、または、社会に名のある名士に交際をすることも必要であろうと思われる。
彦部の佐藤長四郎の如きは、今回3等獣医となって正八位にいつの日にか任命されるだろうとの風説がある。今また佐藤善左衛門は1年志願兵として来る25日名古屋に出立することになった。敢えて学資を要せずしてかくの如き立身をするを見るときはひそかにうらやましく思われる。
今手元がさびしい場合は近いうちに1円50銭と単衣を差し立てるようにしよう。
キクヱにも手紙を書くよう言っているが、折角書いているようであるが何分恥ずかしいように見えるので、何か質問形式の手紙かはがきをよこすようにせよ。右用事旁々余りは後便に申し残す。早々」という内容。
九月、首尾よく東京第一高等学校に入学して2カ月。その就学の様子を長一は詳細に手紙で伝え、父長四郎はもちろん伯父の石杜冨蔵が貸してくれなどといって持っていった、というように親類一同の喜びが伝わってくる文面である。
『胡堂百話』の「画家になる夢」の中に「(前略)「頼むから医科へ行け」「文科ならゆきます」両々大いに頑張った末、たして二で割る現代の政治家ではないが、法科ということで妥協した。せがれが役人か弁護士になる夢で、父も我慢してくれたのである。早速、上京して受験勉強である。三月から七月まで(当時は七月が入学試験)本郷の下宿を一歩も動かず机にかじりついたら、別人かと思うほど、やせてしまった。なにしろ、秀才でも優等生でもなかったのだから一高合格ときいた時、中学の先生たちも、「へえ?野村のやつが…」と、キモをつぶしたそうだ。何も自慢をするわけではない。人間は一生に一度くらい、滅茶苦茶の糞勉強をする期間があってもよいと、私は今も信じている。」というくだりがある。
父の強く奨めた医科でもなく、長一の望んだ文科でもない、やむなく親子折り合って法科に進んだことが分かるし、いかに真剣に受験勉強に取り組んだかを知ることができる。
(毎週日曜日掲載)
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