2007年 5月 9日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉19 伊藤幸子 彩月洞

 この朝明(あさけ)林檎 の花の咲く果てや片富士 の襞に心放つも
  武島繁太郎

 岩手の花暦はたっぷりと待ち時間をとって、開花となるや梅、桃、桜一斉に競い咲く。桜が散り始めると、私はこの歌を口ずさむ。

  岩手県歌人クラブ初代会長武島繁太郎先生、昭和42年発行の「おくの草桁(くさげた)」の一首。「武島さんほど岩手山を愛し崇(あが)めている歌人を知らない。長年盛岡に居住し、朝な夕な南部富士の山容に接し、格調高いこれらの歌は古典の域に達している」との序文は、中央歌誌「地平線」代表の松本千代二氏。

  「新雪の南部片富士の崇高(けだか)さよわが佇(た)ちて見る心孤(ひと)りに」と刻まれた愛宕山の歌碑の前に立たれる先生の写真がとびらに飾られる。私はこの歌の色紙を十代のころに頂き、転勤して歩いても常に鴨居(かもい)に掲げて拝してきた。

  もう一枚「佐渡院が黒木の御所の跡どころ丈(たけ)たかく雑草(あらくさ)のおほひたるはや」も、何度か西下台のお宅に伺った折頂戴(ちょうだい)したものである。「彩月洞小さき書庫を鎖(と)ざしゐる鉄扉明るく若葉耀(かがよ)ふ」の情景そのまま、先生のお宅の庭に建つ書庫に招じ入れられたときの感激は、四十余年たった今でも忘れられない。「彩月洞」の表札も先生直筆で、完全防災の書庫の内には、啄木、晶子、白秋、牧水はじめ教科書で習った文学者たちの初版本がぎっしり並び、色紙帖(じょう)や、短冊函(はこ)には筆墨の香が匂(にお)いたっていた。

  「子等を率(ゐ)て五十六ケ年履き古りし草鞋(わらぢ)をば脱がむ心残りなく」に見られるように、先生は昭和42年春、56年余の教職を退かれ、すでに傘寿(さんじゅ)をこえておられたが、よく小岩井吟行や、焼走り探訪に出かけられた。ある時は車の手配がつかず、軽トラックで砂利道をご一緒したこともあった。その当時は先生が八十代とは思えず、今あらためて年譜を見て、そんなお齢(とし)だったのかと驚く思いである。

  「草桁の霜路をそぞろ往き往かばけだしや逢はむ孤りの我に」。花暦ただ迅(はや)く、彩月洞に照り映えていた若葉のそよぎが慕わしい。


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