■ 日韓で共通の歴史を 加藤章氏が両国学生向けに教材
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日韓の歴史教科書について語る加藤氏 |
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盛岡市教育委員会委員長の加藤章氏が会長を務める歴史教育研究会が、韓国の歴史学界との共同研究による「日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史」を刊行した。日韓の歴史観の違いに学識的な論議を重ね、認識を共にする部分を通史にした。先史時代から現代まで両国の2千年以上の歴史を重ね合わせると、東アジアの共同体の輪郭が見えてくる。両国の学生が自国史と世界史のはざまで、隣邦とのかかわりを学ぶテキストになるよう記述された。
加藤氏は1976年から日韓の歴史学に関心を持ち、韓国の学界と交流を重ねてきた。韓国に赴いて日本古代史への所見を述べたところ、「なぜ北朝鮮の学説を」と騒がれるほど、当時の日韓は誤解に満ちていた。80年代の日本の歴史教科書の記述をめぐる外交問題や、90年代の日本の戦争責任論争の活発化する状況下で、両国の歴史教育の研究者が交流を持つ必要を意識した。上越教育大、盛岡大の学長時代を通じて歴史教育から日韓交流に尽力した。
加藤氏の歴史教育研究会と、韓国のソウル市立大の李存熙名誉教授が会長を務める歴史教科書研究会が学術交流を始め、97年にはソウル市立大で日韓歴史教科書シンポジウムを開き、約30人の研究陣で10年にわたり論議してきた。
加藤氏は韓国の反日意識の底流に近代以前からの中国、朝鮮、日本の間の朝貢的な歴史認識を感じ、最初に近代化した日本が大陸に乗りだしたことに原因を見いだす。「韓国にしてみれば、それが兄や姉に対して弟がやることだったのか、自分たちが教えてあげたことに恩をあだで返されたという意識がある」と話す。
認識の相違は古代史までさかのぼり、新羅、百済、高句麗の三国時代に日本府があったという「任那」を韓国側は認めなかった。古代については日本の影響力について懐疑的な考えが強く、教材では韓国側で呼ぶ「加耶」の名前に記述をそろえた。
元寇や秀吉の出兵など両国間に戦火はあったが、儒教を基本に日本が韓国に文化的な教えを求める時代は長かった。教材では互いに優越性を強調するより、事実を客観視するよう努め、認識が合わないところは保留して筆を進めた。
近代史については日本であまり教えられない韓国の抵抗史を詳しく取り上げた。その一方、欧米列強の外圧に対する日韓の対応の差については意見が分かれたという。
加藤氏は「なぜ日本が近代化に成功したのに韓国は近代化に成功しなかったのかというと、日本の侵略を非難する反論が返ってきたが、さまざまな人から同様の問題提起がなされてきた。韓国は科挙によって人材が中央集権になりすぎていたのに対し、日本は各藩に改革派がいて地方から中央政府を覆したなどの研究がなされるようになった」と話し、日韓相互の論議の活性化を期待する。
日本の植民地支配については「36年間に名前を奪って文化を強制するようなことをやれば抵抗するのは当然だ。日本であまり取り上げられないようなことも詳しく記した。現代は『冬ソナ』など文化的な理解が進んでいるように見えるが、それが上滑りのものに終わるかどうかは、若い世代がお互いの歴史をどれだけ理解するかにかかっていると思う。それを共通教材で補って」と若い世代に望む。中国を交えた東アジア共同体を形作る意識を養う若い人材が育つようテキストが役立てられることを願っている。
教材は明石書店から定価2800円で出版され、主要書店で販売している。 |
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