〔けさもまた泪にうるむ木の間よ
り東のそらの黄ばら哂へり〕
〔現代語訳〕今朝もまた、泪(なみだ)に濡れている木の間から、東の空の黄色の薔薇(バラ)は笑っているのです。
〔評釈〕「大正六年七月より」〔「歌稿〔A〕」〕百三首中の七十七首目の「619歌」。類似歌は、「好摩の土」十首〔『アザリア』第四号〕の二首目に「けさも又身に燃ゆる火の育つ間を東のそらの黄薔薇わらへり」がある。この両者からは、第四・五句の「東のそらの黄ばら哂へり(わらへり)」の部分は安定しているから、この四・五句にどうした表現を対応させようかと苦心したところがうかがえる。「潤む」は、大和言葉では「ものが濁(にご)って不透明・不鮮明になる」〔『岩波古語辞典』〕が原義だが、漢字では「水+閏(うるおう=潤う」で、むしろこちらの意味。また、「哂」も「口+西(ちょっと笑う)」から「ちょっとわらう」や「あざわらう」の意となるのだが、賢治が自覚的であったかは不明。
(岩手大学特任教授) |