2007年 5月 14日 (月) 

       

■  〈早池峰開山1200年〉1 矢羽々文一郎 名称のいわれ

 霊峰・早池峰山は、平安時代初期の大同2年(807年)、大迫郷の田中成房、遠野郷の始閣藤藏の2人によって、古くから東子嶽(あずまねだけ)と呼ばれていた早池峰山の山頂に、東子嶽明神が奉られてから、今年で1200年を迎えます。

  山岳信仰の山々にかかわる開山の歴史は、伝記や奉られた神々の縁起(えんぎ)によって、必ずしも定かではありませんが、登山史上の記録によりますと、飛鳥時代後期の680年、鳥海山が行者により開山されて以来、701年慈興上人による越中の立山や奈良時代初期の717年、泰澄大師によっての加賀の白山などに次ぐ、古い開山の歴史を有するのが、早池峰山です。

  ちなみに日本一の霊峰・駿河の富士山は平安時代後期の1149年、富士上人によって開山されました。

  開山から千二百年。大きな節目の年にあたり、霊峰・早池峰の歴史を象徴する四つの事柄について、改めて、視線を向けて見たいと思います。

  一、深山幽谷の山伏の修験場であった早池峯。二、信仰登山の霊山としてにぎわった早池峯。三、〓高山植物の宝庫〓と絶賛された早池峯。四、〓賢治文学のモチーフ〓になった早池峯。

   ◇   ◇

  古くから東子嶽と呼ばれていた霊峰が、「早池峯山」と称されるようになったのは、山頂に東子嶽明神が奉られてから、400有余年の星霜を経た、鎌倉時代の前期のころからといわれております。

  高僧の快賢聖が布教に奥州を巡歴の途次、大迫郷を訪れて東子嶽の山ろくに立ち寄った折、周辺の山域の景勝に深く感銘して、河原ノ坊に草庵を設け東子嶽に登りました。

  清流をさかのぼり、巨岩の累積する山稜(さんりょう)を登り、山頂に達すると一遇に小池がありました。この小池を里人たちは「開慶水」と呼び、池の水は長い日照りでも涸(か)れることがなく、長雨のときにも増水することもなく、一定の水位を保っていましたが、参詣登山の人などが誤って手を入れたり、うがいなどをすると、水はたちまち消え失せたといわれてました。

  このようなときには、先達が観音経を唱えて祈請すると、再び水がわき出て、池を成したとのことでしたので、快慶聖は、この山を「早池峯山」と名付けたと言われております。

  後に、快賢聖は河原ノ坊に一宇を建立し、「妙泉寺」と称し、院号を「池上院」と号しました。

  古文書や古い銘文などには「早池峯山」と記されてますが、明治以降は「早池峰山」の表記が散見され、現在は国土地理院発行の地形図をはじめとし「早池峰山」の表現が用いられております。
(元早池峰山岳博物館長)

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