〓大〓紅椿
酒井大岳
漢字がたったの五文字、読みは「にわたずみ おおにわたずみ べにつばき」。作者は群馬県の曹洞宗長徳寺の高名なご住職で、著書多数、日本ネパール友好協会顧問、盛岡にも毎年講演にみえる快活な和尚さま。
「にわたずみ」は水たまりのこと。春先、水たまりが道をふさいでいた。最近はみな舗装されてこんな光景は珍しいなあと思ったら「〓」の字を思い出した。古語「にはたづみ」は「流る」にかかる枕詞(まくらことば)である。作者は何とも豊かな気分になって歩いてゆくと、もっと大きな水たまりがあって、そこにみごとな紅椿の花が水面いっぱいに映っていた…。
「できましたよ、俳句が!」欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、高僧の笑み全開の瞬間である。作者の長い句歴と感性と風景の合致したすばらしい一句。
この句は平成10年3月30日付朝日俳壇の稲畑汀子選巻頭に輝き、全国から大変な反響が寄せられた由。歌人の鬼頭旦氏は「簡潔の中に豊かさ湛(たた)へたる短詩型文学の粋と思へり」と「〓」の句を讃(たた)える歌を全国誌に発表された。
さらに感動的な物語が伝えられる。高浜虚子の「椿子物語」の椿子人形にまつわる話がこの五文字の俳句からひたひたと解き明かされてゆくのである。そもそもは浅草橋の人形問屋「吉徳」の十代目山田徳兵衛さんという方が、虚子先生にお礼の気持ちでご自分の商売物の人形をさし上げたことから始まる。
先生いたく感動され、「椿子(つばきこ)と名付けて側(そば)に侍(はべ)らしめ」と認(したた)められ、夏がくると「椿子に絵日傘もたせやるべきか」の名句が綴(つづ)られる。やがて昭和26年、この人形は虚子の愛(まな)弟子のお嬢さんに貰(もら)われてゆく。そして、平成の今、朝日俳壇を見たといって、そのお孫さんから椿子人形の写真がご住職のもとに届いたという。
酒井大岳著「あるけば咲いている」に、その「椿子」の写真が載っていて、私はいつも心が萎(な)えたとき話しかける。私のにわたずみが再びきらめく予感に震える一瞬である。 |