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礫石経塚が確認された宿田南遺跡(2日の現地説明会) |
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盛岡市遺跡の学び館は同市北夕顔瀬町地内の宿田南遺跡で、経典を石に書写した「経石」が埋納された礫石(れきせき)経塚を確認した。経石は約80点出土し、年代は13世紀ごろの中世・鎌倉時代と推定される。礫石経塚としては県内最古の可能性もあり、同館では発掘調査の完了を経て年代の特定を急ぐ。2日に現地説明会を開き、市民に公開した。
出土した経石は一字一石と多字一石の2種類で大小が異なる。墨書の経典は筆跡の異なる「金剛般若波羅密経」と「妙法蓮華経」、一文字で如来の名前を示す梵字(ぼんじ)に大別できる。同館では少なくとも二人以上が書写したと判断している。
梵字の書かれた多字一石経のうち長さ7センチ、横幅が最大4センチのだ円形のものは、5つの梵字「金剛界曼荼羅(まんだら)」が書かれている。それぞれ1文字で「バン(大日如来)」「キリーク(不空成就如来)」「タラーク(宝生如来)」の意味を持っている。
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「金剛般若波羅密経」の書かれた多字一石経 |
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調査地は東北新幹線沿線、北夕顔瀬第2町内会公民館の北東側にある私有地で、面積は120〜130平方メートル。宅地造成などによって付近は切り崩されているが、現地は沿道よりも3、4メートル高い。駐車場整備に伴い昨年から埋蔵文化財調査が行われている。
礫石経塚が見つかったのは調査場所の北西部で、規模は3メートル四方、深さ7、80センチと推測される。その南側には同時期に成立していた可能性もある盛土遺構もある。
これまでの発掘で石は1万点出土しており、本来はもっと多くが経石だったが染み込んだ水の浸食などで経典が消えてしまったとみられる。出土した多くは下部のもの。残る部分にも2、3万点の石があるという。石は規則的に並べられ、深さや位置によって石の形状に統一性や積み上げの特徴がある。
経典を埋納するのは仏教の作善行の一つで、10世紀末ごろから始まったとみられ、紙本、瓦、銅版、滑石、礫石、貝殻などに書写し、経典は法華経が多い。儀礼目的が多いが、地鎮か供養などかは今後の分析になる。
経塚全般で県内最古は平泉町の金鶏山経塚の12世紀前半。礫石経塚では宮古市のものが年代を特定できるものとしては県内最古で14世紀後半。宿田南遺跡の経塚を鎌倉時代と推定したのは全国の類例から判断した。
担当の佐々木亮二文化財主事は「経塚は一般庶民にできるものではなく仏教関係者が行い、それを指示したスポンサーとしての有力者がいた。何もかも初めてのことなので、まずは年代の特定を急ぐ」と話している。
今回の調査ではほかに江戸時代後半の土坑墓が24基見つかった。このうち1基は盛土遺構と重複し、23基から23体分の人骨も確認された。
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