■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉54 北島貞紀 ライブハウスの楽屋で
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■ 1981年
セブンス・アベニューのリーダー、トシ君はマネジャーとして有能だった。結成したてのバンドの仕事を次々に取ってきた。大学の卒業と同時に、このバンドのメジャーデビューに賭けたのだから、それなりの勝算と決意があったのだろう。僕の卒業の時の迷走と比較すると、その思い切りの良さ、行動力に感心してしまう。
かといって、ぐいぐいとバンドを引っ張っているわけではない。音楽的な主張はなく、自分の領域の歌でさえ、祥をメーンに押し立てていた。トシ君の関心は、いかにショーアップしたステージを構成できるかにあった。
僕たちは、大阪をはじめとして京都や神戸のライブハウスで、週に2、3本のライブをこなしていった。
ある日、それぞれのステージネームを考えようということになった。
「センセイは、何かないんですか?」
「うーん、大学生のときに、ジョージと呼ばれたことがある」
「ビートルズの?」
「いや、ちょっとエッチな方や」
「なんで?」
「君らは知らないやろうけど、昼下がりの情事という映画があったんや」
「知ってる!」
「大学でコンサートをやったときに、その主催者がな、昼下がりの情事・北島バンドって勝手に名前をつけたんや。それから、ジョージになったんや」
「それ、いいじゃん!」ということで、僕は、ジョージさんと呼ばれることになった。
ライブハウスの客入りは、当然のことながら良くはなかった。バンドメンバーが7人もいるので、客の数よりメンバーの方が多いこともざらにあった。
その日は、大阪のはずれ、寝屋川のライブハウスだった。楽器のセットとリハーサルを終え出番を待っていた。そして時間がきた。先に出て行ったヒロが、もどってきた。
「客がおれへん!」
なんと客が一人もいない。ボウズだ。僕たちは楽屋に戻った。
意気消沈と思いきや…。
「じゃ、やろうか」。祥が嬉々(きき)としてトランプを持ってくる。
僕たちは、ライブそっちのけで、セブンブリッジや大貧民ゲームに熱中した。
そんなことを繰り返しながら、僕たちは、音を固めていった。そして、少しずつではあるがセブンス・アベニューのファンができていった。もっとも、主としてそれは祥のファンであったのだが。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/ |
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