2007年 6月 7日 (木) 

       

■  〈あのころぼくはバンドマンだった〉54 北島貞紀 ライブハウスの楽屋で

 ■ 1981年

  セブンス・アベニューのリーダー、トシ君はマネジャーとして有能だった。結成したてのバンドの仕事を次々に取ってきた。大学の卒業と同時に、このバンドのメジャーデビューに賭けたのだから、それなりの勝算と決意があったのだろう。僕の卒業の時の迷走と比較すると、その思い切りの良さ、行動力に感心してしまう。

  かといって、ぐいぐいとバンドを引っ張っているわけではない。音楽的な主張はなく、自分の領域の歌でさえ、祥をメーンに押し立てていた。トシ君の関心は、いかにショーアップしたステージを構成できるかにあった。

  僕たちは、大阪をはじめとして京都や神戸のライブハウスで、週に2、3本のライブをこなしていった。

  ある日、それぞれのステージネームを考えようということになった。

  「センセイは、何かないんですか?」

  「うーん、大学生のときに、ジョージと呼ばれたことがある」

  「ビートルズの?」

  「いや、ちょっとエッチな方や」

  「なんで?」

  「君らは知らないやろうけど、昼下がりの情事という映画があったんや」

  「知ってる!」

  「大学でコンサートをやったときに、その主催者がな、昼下がりの情事・北島バンドって勝手に名前をつけたんや。それから、ジョージになったんや」

  「それ、いいじゃん!」ということで、僕は、ジョージさんと呼ばれることになった。
 
  ライブハウスの客入りは、当然のことながら良くはなかった。バンドメンバーが7人もいるので、客の数よりメンバーの方が多いこともざらにあった。

  その日は、大阪のはずれ、寝屋川のライブハウスだった。楽器のセットとリハーサルを終え出番を待っていた。そして時間がきた。先に出て行ったヒロが、もどってきた。

  「客がおれへん!」

  なんと客が一人もいない。ボウズだ。僕たちは楽屋に戻った。

  意気消沈と思いきや…。

  「じゃ、やろうか」。祥が嬉々(きき)としてトランプを持ってくる。

  僕たちは、ライブそっちのけで、セブンブリッジや大貧民ゲームに熱中した。

  そんなことを繰り返しながら、僕たちは、音を固めていった。そして、少しずつではあるがセブンス・アベニューのファンができていった。もっとも、主としてそれは祥のファンであったのだが。

  (ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/

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