吾妻とも若き日の母とも迫りきて去りがたくゐつ「女」の像を
松田護夫
松本市のJR大糸線の踏切を越えてすぐの木立の中に、みごとなツタに被(おお)われた教会風の建物、碌山(ろくざん)美術館がある。明治12年、長野県東穂高村生まれの彫刻家、荻原守衛の作品資料が保存公開されている。重要文化財「女」、後ろ手に反った女体の質感が切ない。荻原はこの作品完成直後、30歳で永眠。これは文部省買い上げとなり、切手の図案にもなった。
平成15年刊の松田護夫歌集「市塵」には、「昇華せざる苦悶(くもん)あらはに目を剥(む)けり『文覚(もんがく)』すなはち盛遠(もりとほ)の像」など、碌山美術館テーマの作品があり、過日松本で再会して話が弾んだ。私は今回は「女」よりも「文覚」像に強く惹(ひ)かれた。
俗名遠藤盛遠、源渡(みなもとのわたる)の妻袈裟(けさ)に懸想(けそう)し、渡を殺(あや)めるつもりが袈裟の首を斬(き)ってしまう顛末(てんまつ)は幾多の物語に知られている。その後の盛遠の修業のすさまじさを思うにつけても、この「文覚」像の迫力に圧倒される。ロダンのアトリエに出入りしたという荻原の緊密な筋肉の表現は西洋的でダイナミックに迫る。
「市塵」1043首、糸魚川市在住の氏の42歳から70歳までの作品群は春秋起伏に富み。装幀(そうてい)も凝っていて、現在珍しい活字の凹凸がしっかりと指に感じとれる本になっている。「OA機器並ぶる店に筆墨のたぐひはすでに美術品めく」と家業を詠まれ、「新聞社会議室にて先生の予選の歌を控へにきわれは」といった若き日の師、宮柊二について朝日歌壇の選歌に従った折のこともうかがえる。
所属する短歌誌で毎月作品を見ているため、実際会わなくてもその消息は知れているのだが、今は「厨房(ちゅうぼう)の改築はじむ自分のみ長生きすると決めゐる妻が」と頬(ほお)のゆるむ日常が見える。そしてまた「健康法訊(き)かるれば答ふ消閑に池波を読み大江は読まずと」まさに同感。「県境の峠を越えて安曇平(あづみだいら)五月のおそき桜見にゆく」新潟の糸魚川と松本を結ぶ大糸線を時刻表に見ながら県境の峠を思っている。
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