■東北朝廷の実態
東北戊辰戦争の最中、西軍に対抗した東北諸藩が奥羽越列藩同盟を結成し、さらには彰義隊戦争の最中上野寛永寺を逃れ会津にいた上野東叡山寛永寺門跡輪王寺宮公現法親王(注1)のいわゆる東北朝廷を冠に戴いたことが伝えられている。しかしその実態はどのようなものであろうか、改めて考えてみることとする。
まず戊辰政変後の東北におけるこの問題に関係する(と思われる)事件を時系列に並べてみる。
3月23日 九条鎮撫総督随伴兵を率い仙台入り
26日 九条鎮撫総督会津進攻を命令
閏4月20日 鎮撫総督府参謀世良修蔵仙台藩士により暗殺
5月3日 奥羽越列藩同盟盟約成る
15日 上野寛永寺陥落(彰義隊壊滅)
18日 九条鎮撫総督仙台を発ち盛岡経由秋田に向かう
22日 輪王寺宮品川を出発
28日 輪王寺宮常陸平潟港着
6月6日 輪王寺宮会津入り
15日 輪王寺宮即位東武皇帝と称す(と伝えられる)
18日 輪王寺宮会津出発
20日 輪王寺宮米沢入り
23日 仙台・米沢・会津藩三藩の使者輪王寺宮に盟主就任を要請
24日 九条鎮撫総督盛岡を出発。棚倉城落城
26日 輪王寺宮米沢出発
29日 輪王寺宮白石入り
7月1日 輪王寺宮白石出発。九条鎮撫総督秋田入り
2日 輪王寺宮仙台入り
4日 秋田久保田藩士仙台藩使者を暗殺。秋田久保田藩同盟を離脱
8日 輪王寺宮最初の令旨を発する
12日 輪王寺宮仙台出発
7月13日 輪王寺宮白石入り
14日 第十次白河城争奪戦同盟軍敗退。磐城平藩降伏
18日 公議府(白石)設置
25日 新潟港西軍に奪取さる。仙台藩家老但木土佐更迭
26日 三春藩降伏
29日 二本松城落城
8月19日 米沢藩降伏折衝開始、同日降伏を決定
23日 会津藩野戦を諦め籠城戦となる。米沢藩が仙台藩に降伏することを通知、同時に仙台藩にも降伏を勧告仙台藩も降伏に同意
26日 仙台藩降伏を決定
28日 米沢藩正式降伏
9月2日 輪王寺宮白石から仙台に移る
8日 米沢藩兵西軍と行動をともにす
12日 福島軍事局撤退
15日 仙台藩正式降伏
22日 会津若松鶴が城降伏開城。輪王寺宮謝罪嘆願書提出 |