2007年 7月 4日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉27 伊藤幸子 歌枕かるいざわ

 霧ふかき霧積(きりづみ)へゆく峠路をのぼりて霧の谷へとくだる
  内田康夫
 
  夏がきた。わたしの大好きな本に、推理作家内田康夫さんの初歌集「歌枕かるいざわ」がある。当代作家長者番付では常に五本の指に入る軽井沢のセンセイ、名探偵浅見光彦の生みの親である。平成14年刊のこの本には片側に写真と短い解説文、一方には短歌一首五行に記されて軽井沢百首百景が収められ、どこを開いても情感ふかく旅心をそそられる。

  そしてわたしの夏の愛読書はもうひとつあり、森村誠一さんの「人間の証明」、これはもう何十年来の感情が身にしみついている。「霧積」はそのキーワード。「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?/ええ、夏碓氷(うすい)から霧積へ行くみちで、谿谷(けいこく)へ落としたあの麦稈(むぎわら)帽子ですよ」という西条八十の詩が美しく連なる。「ストーハ(ストローハット)」とつぶやいて息絶えた黒人青年ジョニー・ヘイワードと、犯人を追う棟居(むねすえ)弘一良刑事の息づまる物語。

  森村さんが大学生のときに霧積温泉から浅間高原を歩き、山中で、宿が用意してくれたおにぎりの包み紙に刷られていた「麦稈帽子」の詩に見入る。それが二十数年後の「人間の証明」のモチーフになろうとは、氏自身思いもよらなかったことと述べられる。

  そして同じく推理小説分野で次々とベストセラーを出される内田さん。今から20年も前の秋、愛車ソアラを駆って奈良県天川へ取材の道を辿(たど)るくだりは、思わず「浅見さん!」と呼びとめたくなる。私は氏の著書はほとんど持っていて、次作が待ち遠しくてたまらない。

  「なつかしきテニスコートの思ひ出は雅びのひとの夏の日の恋」「行く方を思ひさだめし分去(わかさ)れになほ振り返る恋のをはりよ」やんごとなき方の恋の町軽井沢、人も景色も温かい。

  百首百景、写真も実に美しく韻律の整った歌に癒やされる。でもこの歌のひとつひとつに、いろんな謎がこめられているだろうなと、作者のひそやかなトリックも思いみている。

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