■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉58 北島貞紀 テツとの再会
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■ 1982年
何年ぶりかの尼崎だった。ピアノでの初仕事が尼崎「百万弗(ドル)」のコーラスバンドだった。指を折って数えてみると、もう6年も経っている。
セブンス・アベニューを抜けてハコを捜したが、簡単には見つからなかった。以前にここに来たころまでは、仕事はいくらでもあった。
ここ数年、大きなハコがいくつも姿を消していた。2回のオイルショックの後景気が回復しないのと、キャバレー、アルサロといったこの手のスタイルが、時代遅れになってきたのだろう。
加えて、カラオケの普及がバンドの仕事を奪っていった。かつては、ひとつのハコに2つのバンドが常識だったが、チェンジバンドの代わりにカラオケタイムとなり、肝心のバンドの方も人数が減らされていった。フルバンドの形態を維持している店は、大阪、京都、神戸を見渡しても数えるほどしかなくなってしまった。
そんな中で、やっとこめぐってきた仕事だった。プロダクションからの仕事で、メンバーはそろえるからカルテットの親方(バンマス)をやってくれとのことだった。
「ブルースカイ」は、尼崎のキャバレーの老舗だったが、改装をして高級クラブになった。
その開店にあわせてバンドも新規の契約になった。今日がメンバーとの初顔合わせだった。
塗装の臭(にお)いが抜けきらない店内に入ると、ドラムの刻む音が聞こえてきた。足を止めて聴きいると、とても切れがいい。なおかつパワーがある。久し振りに聴くフォービートのノリだった。なかなかやるじゃん!
ステージに近づいてゆくと、音がやんだ。
「やぁ」
「どうも」シンバルの陰から顔がのぞいた。どっかで見覚えのある顔だった。
「あれぇ?」一瞬の間があって、回線がつながった。
「テツか?」
「そうですが…」
「大昔に、梅田のグランドに来たことがあったやろ。多分1週間くらい」
「あっ!」
「そうや!あのときはベースを弾いとった。そっちは覚えとらんかも知れんけど」
「思い出しましたわ」
ぼくが、ベースの立ちん坊で、この世界に入ってまもなくのころだった。ドラムのアフロが郷里に帰っていった後釜に来たのがテツだった。そのころのテツは18歳、体が細く華奢(きゃしゃ)に見えたが、恐ろしくシャープなリズムをたたき出した。そのときのバンドのぬるさに愛想をつかして、テツは1週間で去っていったが、ぼくの記憶の中に、強烈な印象を残した。
テツは、以前より全体に肉がつきたくましくなっていた。その分だけドラムに力強さが増したようだ。端正な顔立ちは同じだが、神経質さが消えイイ男の顔になっていた。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページhttp://www.smilecats.com/ |
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