2007年 7月 6日 (金) 

       

■  〈EU見たまま〉スペイン編5 小野吉郎 コルドバ

 かつてイスラム文化の最盛期には、今はイラクの首都のバグダッドがその中心だった。

  そこから分かれてスペインのコルドバをイスラム文化のヨーロッパの中心地にしようとした。

  バグダッドから逃れたウマイヤ朝の一族のただ一人の生き残り、アブデ・ラマン1世として、後にウマイヤ朝を開いた。

  そしてイスラムのカリフのアブデ・ラマン3世の時代に全盛期を迎えた。

  「暗黒の中世」といわれた時代には、コルドバはイスラムがもたらした文化の中心となった。ヨーロッパ各地に大学が設置される前から、古代ギリシャ・ローマの古典がアラビア語に訳され、伝えられた。

  中世初期のヨーロッパ学術の中心地になった。モスクの中にスペイン最初のマドラサ(学校というより、大学といった方が適切)が設けられた。

  コルドバの変

  13世紀になると、キリスト教徒はコルドバを奪い返したが、イスラムやユダヤの伝統のすべてをぬぐい去ることはできなかった。コルドバは古代世界と中世文化の懸け橋になった。

  今日では旧ユダヤ人街には土産物屋が並んでいる。ホセ・クルース・コンデ通りと、コンデ・ド・ゴンドマール通りは、ショッピングする人々で終日にぎわっている。

  メスキータ

  モスクのことである。コルドバをバグダッドのような首都にするため、アブデ・ラーマン1世が785年につくらせた。コルドバの発展とともに、848年、961年、987年と3回増築され、2万5千人のイスラム信者が祈ることが可能になった。

  3度の増築のため、モスク本来の対称形はくずれてしまった。

  848年にアブデ・ラーマン2世によって拡張された部分は、今ではカトリックのカテドラルに改装されてしまった。そのほかにはオレンジの木のある中庭がある。

  アルカザル

  アルフォンソー1世によって1328年に改装されたこの城はキリスト教時代の王の宮殿になった、美しい庭園とローマ時代のモザイクの展示品などが見られる。

  ローマ時代につくられた「ローマ橋」はたびたび戦争で破壊されては、修復を繰り返された。

  フラメンコ舞踊の留学生たち

  古くインド北西部から放浪の民のジプシー、スペインではヒターノと呼ぶ。スペイン南部のアンダルシア地方に15世紀から定住。

  最近世界中からスペインにフラメンコ舞踊を学ぶため女性の留学生が来ているが、そのうち、日本女性の数がトップ。

  しかしスペインのインテリ層は「フランメンコは決してスペインを代表する文化でない」と断言する。

  下層民の文化は、スペインのような階級社会ではサブカルチャーとして卑下されるのも当然。

  フラメンコは踊りとギター、カンテ(歌)という歌の3要素からなっている。西洋音楽の知識だけでは理解できない。
  何しろ12拍子のなかに3、6、8、12拍子を交互にかえてアクセントを入れる「ソレアレス」という代表曲もある。

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