2007年 7月 7日 (土) 

       

■ 〈舗石の足音〉166 藤村孝一 ルートヴィッヒの音楽

 ワーグナーの世界を生涯愛し莫大な経済的援助を行ったルートビッヒ2世について、意外な事実がある。

  「王は音楽的な才能を欠いていた」というのである。5年間ピアノを教えた教師は、少年時代のルートビッヒはシュトラウスのワルツとベートーベンのソナタの区別さえできなかったと述べ、また、ほかの人には、ルートビッヒは音を外さずに、歌うことも口笛を吹くこともできなかったと言っている。

  それでも、王が音楽を深く愛したのは、音そのものよりも「ことば」ゆえであった。深い関係にあったワーグナーは「王は芸術に関すること特に詩的印象への感受性が強く、これが音楽的に深められると異常なほどの刺激を王に与えることになる」と言った。ほかの場でも「わたしの作品をピアノ伴奏で劇場で燕尾(えんび)服を着て、まったく非音楽的な人間に聴かせるのは無意味なことだ。その人は文学の感性しか身に付けていないのだ。しかも、舞台の演技がなかったら死ぬほど退屈してしまうような非音楽的な人なのだ」と言ったという。王の本質を見抜きながら経済的援助を受け続けたワーグナーはしたたかであるが、この言葉は的を射ている。王は自分の夢を生かす現実の空間としてワーグナーの世界を必要としていたのである。

  だから、王の音楽の鑑賞は異常なほど限られていた。コンサートでベートーベンのピアノ協奏曲5番やメンデルスゾーンの交響曲4番にも興味を示さなかった。ベートーベンの作品ではワーグナーが解説を書いた交響曲しか聴こうとしなかった。室内楽の夕べも数は非常に少なかった。軍楽隊の演奏やピアノ演奏でもワーグナーの作品の編曲であれば感激し、恍惚(こうこつ)の状態になった。声楽でも、民族音楽例えばヨーデルなどにも興味を示さなかった。

  王の関心は歌劇の一部と楽劇だけに向けられた。しかし、イタリア歌劇は買っていなかった。ベルディの「アイーダ」は東方的色合いの題材が土台になっているので、例外的に好んだ。ワーグナーが高く評価していたグルックの歌劇は楽しみにしていた。モーツァルトは「魔笛」だけであった。

  1872年以降の王のための特別演奏会では209曲演奏されたが、ワーグナーの歌劇や楽劇が圧倒的に多かった。「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリーン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指輪」「パルジファル」。これらのミュンヘン上演ではすべて王自身が選定した。舞台演技が原作に忠実か、発声の質はどうか、歌手の外観がその役に合っているかなど厳しく口出しした。

  ワーグナーは(従来の歌劇に反対し)歌詞における文学性の回復歌劇のドラマ性の回復を唱えていた。舞台上での形、光、動き、音楽が一体となったドラマとして進行していく。これが王の愛好と一致したのであろう。

  ところで、素朴な疑問がある。王はノイシュバンシュタイン城の「歌人の間」に楽劇「パルジファル」の舞台と同じ絵を描かせた。その絵の写真を見ると当時の舞台ははるかに写実的である。しかし、テレビで見る現代のワーグナーの楽劇の舞台は抽象化され簡素である。現代のような舞台でも王はワーグナーに夢中になったであろうか。

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