2007年 7月 9日 (月) 

       

■  〈早池峰開山1200年〉8 矢羽々文一郎 参詣登山の道程

 人里から遠く離れ、シカを追う猟師などのほかは、立ち入る人のなかった早池峰が、中世の鎌倉時代からは、深山幽谷の山伏の修験場として知られるようになりました。

  江戸時代の中ごろからは、山岳信仰の参詣登山の風習が庶民にも広く浸透して、岩手山、早池峰山、姫神山は、〓みちのくの三霊山〓と称され、参詣登山の講中の人々によって、にぎわうようになりました。

  しかし深山幽谷の早池峰山は、3山のなかで、最も山ろくまでの行程が長い山でした。

  早池峰山参詣の登山道は門馬、大迫、遠野、小国の4登山口からで、盛岡からの参詣登山は、門馬口か大迫口から行なわれました。

  門馬口の早池峯神社へは、盛岡城下を発ち、旧宮古街道を砂留(さだまり)の古碑から、名勝地の白滝を経て岩山に上り、八木田〜高畑〜大倉峠(480メートル)の各一里塚を過ぎ、簗川の河原まで一端下り、川沿いに遡行して、曽利田〜簗川の両一里塚から、街道筋の最難所・区界峠(751メートル)の分水嶺を越えて、閉伊川沿いに再び下るという約9里(約41キロ)の厳しい道程でした。

  一方の大迫口の岳・早池峯神社へは、大槌街道を大迫まで7里27町(約35キロ)、さらに岳までがおよそ4里(約17キロ)でした。

  文明開化の時代が到来し、明治23年には東北本線が盛岡まで開通したことによって、日詰〜大迫約4里か、石鳥谷〜大迫約3里のいずれかの行程を選択することができるようになりました。

  一方の門馬口は、山田線が昭和3年に区界まで開通し、5年松草、6年には平津戸までが順次開通されたことにより、早池峰登山の里程が大幅に短縮されました。

  交通事情の変遷により、戦前から戦後にかけての早池峰登山は、圧倒的に門馬口からの登山者が、大勢を占めておりました。

  戦後十数年を経て、モータリゼーションの時代が到来してからは流れが一変し、昭和40年代以降、大迫口からの登山者でオーバーユースの状態になってきました。

  ちなみに大迫〜岳に夏期期間だけのバスが運行されるようになったのは、昭和31年7月からでした。かつてのお山参詣登山の人たちは、各登山口の神社に夕刻到着し、社殿に拝礼した後に社務所でくつろぎ、持参した握り飯に賄い所で供されるお茶で夕食を済ませ、静かに仮眠をとりました。

  登山者は、季節によって異なる日の出の時刻を考慮し、各々の体力、脚力に応じて出発の時刻を決め、時代の流れとともに進化した松明、提灯、カーバイトランプ、懐中電灯などの照明具を頼りにして、山頂での御来光を拝むべく、登山の途につきました。

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