■ 〈続・岩手の先人とカナダ〉2 菊池孝育 杉村濬(2)
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杉村は続ける。「ハリハキス(ママ)商法會議所ヨリ別紙乙號ノ如キ書面ヲ送来リ日本品ヲ該地方ニ誘入シタキ旨申来リ」と記し、これまでの巡回視察の結果、日加両国間の通商開始は「熟期ニ向ヒタル問題」と認識した。「依テ愚考スルニ」この際三井物産のような会社の出張店(所)をバンクーバーーに設けてはどうか、と提言するのである。設置後の見通しについては、
「専ラ卸賣ヲ業トシ各地ノ註文ヲ引受ケ候ハハ將來日本及加奈多間ノ貿易ヲ本邦商ノ手ニ引受クルノ利益アルノミナラス大ニ日本品ノ販路ヲ開キ得ル事ト存候」と説くのである。確かにその後の日加交易史は杉村の認識の通り展開した。けだし卓見であったのである。新事業の収支の見積もりも理路整然としたものだった。
「右出張店設置ニ付豫算ハ左ノ通ニ有之候」として項目ごとの費用を列記して「一ヶ年共計三千五百弐拾弗巳下」と計上している。積算の根拠も具体的である。人件費として「一支配人 壹名 月給百弗ヨリ百五十弗迄/一雇 壹名 六十弗ヨリ七十弗迄」とし、家賃にしても「一店賃 一ヶ月 四十弗」と計上している。
小売りに適する場所は100ドル以上の家賃でなければならないが「卸賣ニテハ四十弗ニテ充分ノ店舗ヲ借ル事ヲ許可候」と付記している。店舗の広さについての記載はない。
続けて必要経費として「一瓦斯又ハ電燈料 一ヶ月十弗巳下/一新聞廣告料 〃十弗/一用水料 〃四弗/一電話機 〃四弗/一ストーブ用薪炭筆墨紙ニ關スル雜費ハ十弗共計以而九十六弗巳下」を挙げ、税金については「不詳」とだけ記している。
以上の人件費と月ごとの必要経費の総計が前述の年間総経費となる。積算の根拠、理由は明確で、「武士の商法」の片鱗さえ見受けられない。具申案作成に当たっては、田村新吉、神貞雄両名の助言があったことは否定できない。当時2人はバンクーバーで神・田村商会を経営していた。しかも領事官邸2階に寄宿していたとされる。従って、当時のカナダの経済情勢を十分勘案したものであることは当然である。
「右出張店設立後茲ニ幾許ノ事業アルヤ否ニ關シテハ甚ダ豫料ニ苦シム所ナリト雖トモ」と事業展開に関する不安感を吐露しているが、バンクーバーにおける邦人商店(約6軒)でさえも年間総売り上げが1万ドルを上回る実情を挙げ、充分採算が取れるものと力説している。
しかし邦人商店は在留邦人のみを販売対象としていた。杉村の具申は、在留邦人のみならず、広くカナダ人全体を販売対象としたのである。初の日本産品の売り込みだけに、期待ほどの需要が見込めるか、苦慮したものであろう。
しかし杉村提言は強気の読みで一貫していた。バンクーバー中心の西部のみに止まらず、東部にも販路を開くことができること、また近郊に米領シアトル(当時人口7、8万)があり、米国北西部も商圏とすることが可能であると考えた。
従って売上高は「此ヲ併セテ如何ニ内輪ニ計算スルモ一ヶ年三萬弗ヲ下ラサルヘシ」と予測し、利益についても、当地の卸売業の例を参考にして総売上高の2割以上とした。「假リニ二割トスルモ一ヶ年六千弗ニシテ差引二千四百餘弗ノ利益アル計算ニ有之候」となるのである。さらに前言を補強して「尤モ右ハ初期ノ計算ニテ將來地方ノ發達ニ伴フテ事務ヲ擴張スル時ハ決シテ前顯ノ額ニ止ラサル可シト被存候」と結んだ。
この杉村提言は領事として赴任して、わずか6カ月後に具申されたものである。杉村の人並みはずれた行動力と優れた洞察力の結晶と言える。
この提言を機に日加間の貿易は本格的に開始された。日本からは主として緑茶と絹が輸出され、バンクーバーで陸揚げされた後、大陸横断鉄道で東部に移送された。特に絹はニューヨークまで運ばれ、販売用に加工された。
杉村は「三井物産會社ノ如キ…出張店」をバンクーバーに設置することを提言したことは前述の通りである。今日BC州には100を超える日系企業の支店があり、2国間経済の発展に貢献している。120年前の杉村の先見的提言が、日加両国交易の礎であったことに、今さらながら気づくのである。 |
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