2007年 7月 11日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉28 伊藤幸子 眉山わが街

 眉山(びざん)は眉引くごとく猪の山は猪の伏すごとく見ゆるわが街
岩本益浩

 
  今盛岡で上映中の映画「眉山」を見た。鳴門の海や徳島の街、やさしい眉(まゆ)の山の雰囲気がなんともいえない情感をかもしだしていてさわやかな感動を得た。そして帰ってくるなり、この山を詠んだ歌があったはずと思い、四国九州の方々の歌集を読みあさった。記憶の隅に留まっていればさいわい、日頃(ごろ)ずい分とさがしものばかりしている自分を顧みる。

  作者は大正13年徳島生まれで、この歌は平成7年出版の「冬鶯」所収の一首。昭和19年入隊、21年まで南方を転々として帰還、戦後は徳島市役所に定年まで勤務。歌歴も十代から白秋、宮柊二に師事、私はこの方の「徳島市伊賀町」の宛(あて)名を三十年来書き、憧(あこが)れてきた。

  映画は、さだまさし原作で松嶋菜々子主演、末期がんの母親を看取る期間の懊悩(おうのう)を海山の景をふんだんにとり入れて、常に眉山の山容が癒やし励ましてくれるという設定である。

  実際この山は吉野川の河口に近く、高さも290メートルと、ハイキングコースで頂上から市内が一望できるという。「剣山(つるぎさん)より帰りし吾子がさりげなく新聞をひろぐ畳の上に」こちらの方はかつて吉川英治の「鳴門秘帖」で虚無僧姿の法月(のりづき)弦之丞の勇姿に胸を躍らせたことだった。四国は「空海の風景」でもおなじみで、私はよくそんなことを書き送ったものだ。

  そしたら集中に「ふもとの灯樹海にこもり煌(きらめ)くを夏夕空に大き岩手山」と岩手の旅の歌四首も盛り込まれている。昭和61年頃のこと。

  「泣虫の我は人形浄瑠璃に泣けてならねば眼をそらしをり」「はらからははらから故にせめぎしか崇徳の院の御陵ひそけく」に見えるようにこの地はまた政争の渦中から幾多の「流され人」も逗留(とうりゅう)したところ。でも目を転ずれば、「阿波踊かしましくして大太鼓ひもじき肚(はら)にじんじん響く」土地である。明日は知らず、生ある限り今日の血潮をたぎらせて、映画のフィナーレもまた大渦潮の乱舞だった。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします