縁日の人のうしろゆ見て過ぎぬ屋台に烏賊の焼かれて反るさま
織田敏夫
縁日、お祭り、花火と夏祭りたけなわ。盛岡でもいよいよさんさ踊りが開幕、県都の夜空に太鼓の音がこだまする。屋台ではかき氷もわたあめも、オツ、イカ焼か。
ここに歌人の目がとまる。「烏賊(いか)の焼かれて反るさま」を人々のうしろから肩ごしに見ている作者。芳(こうば)しい香りが漂い思わず「うまそうだな」と思わせる歌。香川県観音寺市の氏にこまごまとお便りを頂くようになって三十年余、お目にかかったことはない。地名は「かんおんじと読むのです」と最初に教わった。ご自身難聴の苦を持たれ、「龍はそれ耳ならぬ角にて音聞けばそを語源とす聾といふ字の」また「要らぬこと聞かですむゆゑよからむと人言ふ何ぞ耳廃(し)ひわれに」というような、諧謔(かいぎゃく)のうらに裡(うち)なる哀しみをこめて深い。
「風呂敷を結びてくるるまでを待つ他家(よそ)の女のかくは優しき」この歌を読んだとき、私はすぐはがきを書いた。ご本人には無論のこと知り合いの誰彼に「よその女の優しさ」を説き、その場面を想像して笑った。会合の場か何かでお返し物を包んでくれる人のしぐさを見つめ「よその女のかくは優しき」と心につぶやく初老の男の顔が見えるようだ。
「腹中にうごく笑ひを怺(こら)へをりすぐに哀しくなるからわれは」「寂しさをこれまで少しも知らずといふ人のなんとも空怖ろしき」氏の歌に接するたび、哀楽悲傷を上すべりしていることはないかと自らを省みる。こんな日は私の手紙はすぐ重量オーバーしたものだった。
「雲纏(まと)ふ塩飽(しわく)諸島にほど近きこなたの島に鳶(とび)きよく啼く」瀬戸内海の風土に生活の周知を詠む氏の長女はアメリカに移住、「落ちぶれて帰り来る娘と思はねどせめて生きゐてやらなむ吾は」と父親の心情を吐露。「我やさき人や先なるうつし世に脱ぎて手にかく喪の服重し」二冊の歌集を遺(のこ)し、平成12年春、机に凭(もた)れたまま息たえておられたという。享年80。
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