■ 虐殺捕虜仲間の証言で父が戦犯処刑 62年経て謝罪と和解
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第2次世界大戦で戦犯として処刑された父を持つ駒井修さん(69)=盛岡市上太田=は6月末、渡英して戦時中に日本軍の捕虜だった元英軍将校のエリック・ロマックスさん(89)と対面した。泰緬鉄道建設に捕虜として使役されたロマックスさんは、駒井さんの父の駒井光男大尉に処断された体験を持つ。この事件で父が処刑された駒井さんは英国に対して、ロマックスさんは日本に対して憎しみを抱いていた。戦後62年の歳月。気持ちを整理した駒井さんはロマックスさんに謝罪。ロマックスさんは記憶にさいなまれながら謝罪を受け入れた。長い歳月を経て2人は和解した。
映画「戦場にかける橋」は第2次大戦中に日本軍が建設したタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道が舞台である。駒井さんの父も、ロマックスさんもともに将校としてそこにいた。
陸軍の駒井大尉はタイのカンチャナブリ捕虜収容所幹部だった。日本が連合軍捕虜を使役した泰緬鉄道建設では多くの英兵が犠牲になり、ロマックスさんの戦友も多くが命を落とした。
あるときロマックスさんらが収容所内でラジオを作り、連合軍の放送を傍受していたことが判明した。駒井大尉は事件を処断、ロマックスさんら英軍の通信将校たちが連座して2人が暴行で亡くなった。ロマックスさんは命を永らえたが、駒井大尉らを深く恨んだ。戦後のBC級戦犯裁判ではロマックスさんの調書がもとで、駒井大尉はシンガポールのチャンギ刑務所で1946年に処刑された。
父の死の真相を知りたいと願い続けた駒井さんは、96年に関東学院大の林博史助教授が明らかにした英軍の裁判記録を入手した。温和だった父が、軍の論理の中で捕虜虐待の責任を一身に負ったことを悟った。
父の死について「8つか9つになったときで平面的なことしか分からない。なぜ殺されたのか、英国人が憎かった。進駐軍の米軍はいいが、英軍は憎いと思っていた。進駐軍から菓子をもらうと怒る母に、これは英国からでなく米軍にもらったと言い訳をした」と回想する。戦後は「戦犯の子」としての苦労があった。
「大人になって結婚して、子供が大きくなって精神的に考える余裕ができた。父は殺されたが、その前に父の側に殺された人がいることが分かった。殺された人にも子供がいるはずだと。そのあたりから若干、英国人も戦争で苦しんだかもしれないと思い始めた」。
映画「戦場にかける橋」などを見るうち、日英の捕虜や戦犯問題について歴史への思いが膨らんだ。映画「戦場のメリークリスマス」にはラジオの事件とおぼしきシーンがあり、日本軍将校役の坂本龍一に父の面影を見て手紙を書いたこともあった。
父の死を究明するうちに泰緬鉄道関係の戦友会とかかわり、林教授の研究を通じて英国の公式記録の中から父の死を納得することができた。父と面識のある元陸軍通訳の永瀬隆さん(89)=岡山県=を通じて英国の当事者の消息も分かった。永瀬さんはロマックスさんの通訳をして、駒井大尉とのいきさつを知っていた。
駒井さんはロマックスさんに息子として謝り、自分なりに戦争責任を全うしようと、面会の意思を伝えてもらった。
グラスゴー大学の教授をしていたロマックスさんは、戦後も激しく日本を憎んでいた。その半面、自分の調書がもとで処刑された駒井大尉の息子にどう顔を合わせるべきか、苦しみの中で駒井さんを迎え入れる決意をしたという。
駒井さんは6月28日から7月2日まで夫人の幸子さんとテレビ朝日系の撮影クルーとともに渡英し、バーウィック市にロマックスさんを訪ねた。ロマックスさんは駒井さんに宿を取り、「こんな静かなところで話ができるから、ゆっくりしてくれ」と遠路をねぎらった。
駒井さんはロマックスさんが「あれほど完璧に隠していたラジオがなぜ見つかったのか」と悩み続けていたことを知り、仲間に対しても深い人間不信を残す戦争のむごさを改めて感じた。
和解後、2人は「グッドフレンド」として別れた。 |
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