■一本杉の寓話
賢治の詩に「天然誘接」(『春と修羅』第一集)という作品があります。「誘接」とは「よびつぎ」のことで大正6年8月18日の日付がついています。
いつぽんすぎは天然誘接
ではありません
槻と杉がいつしよに生え
ていつしよに育ち
たうとう幹がくつついて
険しい天光に立つといふ
だけです
この「いつぽんすぎ」は湯口村(現花巻市)の大杉のことで、槻(ツキ)と杉の幹が癒着した珍しい杉の木です。槻の木は榎(えのき)の方言といわれます。 嘉内は大正6年7月23日の『歌稿ノート』に「秩父始原層 其他」のタイトルで書かれた短歌紀行の冒頭に、この一本杉を三行歌にしています。
花巻と聞けばこれでも
窓あけて
まつくらのなかに、杉を
見にけり
関教授の指導のもとに嘉内ら2年生の学生が、恒例の秩父・長瀞・三峰地方土性調査へ旅立った日の夜、花巻を通過する車窓から詠んだものでしょう。かつて賢治が熱く語っていた一本杉はどこだろうかと、嘉内は窓を開けてしきりにまっくらな空を透かして見ているのです。嘉内はこの槻と合体した杉に賢治と自分を重ねて連想したのでしょう。
また那須から大宮を経て熊谷に着いた時、熊谷寺を訪ね「熊谷寺、蓮生坊の/去りし日の/あわれは/今も、閃緑岩に」と歌いました。
これは賢治が昨年の秩父地方の旅をした際、熊谷寺で「熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると涙あふれぬ」と詠んだ歌を歌枕にしたものでしょう。
賢治はこの歌を冒頭にした連作8首を手紙(大正5年9月5日)にしたため、旅先(秩父小鹿野)から嘉内に送っています。嘉内もまた賢治に倣って旅の連作を賢治に便りしたものと思われますが、その手紙は現存していません。
その発信した時期はおそらく8月中旬ころで、「天然誘接」の詩は、嘉内の〈花巻の杉〉の歌に触発されたものかも知れません。
一本杉の寓話は、賢治との合体(誘接)を連想する嘉内に対して、賢治は〈二つの抛物線〉として冷静に受け止めようとしたのが「天然誘接」です。しかし、この詩に先行した「電車」という作品を読めば、両者の間にはねじれて分裂する心境がのぞかれるのです。
いづれも花巻電鉄に乗車して一本杉に向う途中の心象風景でしょうが、「電車」では嘉内の思いを「ほんのおもしろまぎれ」の点火だとし、「山火事でござんせう」と軽く受け流しながらも、暗殺されたメキシコ大統領ピクトルカランザの配下たちの慌てふためく様子に託して内面の動揺を比喩させているのです。
その4カ月後に一本杉の寓話は発展します。嘉内は『アザリア』第4号に「打てば響く」の断章を発表して「私はいたづらにこんな事を言うのではない」「おんみはげに我が恋人なんだ」と肉薄し、〈二つの抛物線〉という「もうそんな水臭い事は止そうね」と賢治によびかけたのです。
詩篇「電車」(『春と修羅』第一集)
トンネルにはひるのでつけた電燈ぢやないのです
車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
こんな豆ばたけの風のなかに
なあに 山火事でござんせう
なあに 山火事でござんせう
あんまり大きござんすから
はてな 向ふの光るあれは雲ですな
木伐つてゐますな
いゝえ やつぱり山火事でござんせう
おい きさま
日本の萱の野原をゆくビクトルカランザの配下
帽子が風にとられるぞ
こんどは青い稗を行く貧弱カランザの末裔
きさまの馬はもう汗でぬれてゐる
(一九二二、八、一七)
【注】ビクトルカランザ
メキシコのカランザ大統領のこと。独裁者ディアスを打倒し反帝国主義民主革命が起こり、やがてカランザによって1917年に収拾される。1915年に大統領に就任、民主的・民族的憲法を制定するが1920年に暗殺された。「電車」の詩が作られる2年前の事件だった。
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