■179半紙 明治38年9月13日付
宛 東京市本郷区第一高等学校東寮四番
発 岩手県紫波郡彦部村 盛岡市ニ於テ
認ム
前略味曽(噌)送付之件ニ付別紙葉書之通照会罷越候由□□ヨリ相談、案ズルニ味曽(噌)代ヨリ運賃ノ高價ニ相成ハ如何ニモ気之毒ニ被思候、就テハ現品ハ東京ニテ処置先方ヘ理由ヲ□シテ申訳スルカ、不然ハ東京ニテ柴氏ニ相渡シ(ス)方可然候、本日金十貮圓他借シ送付セシ筈着次第報告可致候、学校内ノ事柄詳細何番ニテ級第セシカ是又報導スベシ、
此場合可相成外出ヲサケ疑義等ヲ不受様スベシ角折心配ノ農作モ案外日増ニ好成蹟ヲ示シ稍ヤ人気モ平穏ニ戻侯、藤原居二ニハ及フ丈世話可致侯、右用事迄、早々
九月十三日 野村長四郎
野村長一殿
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紫波町大巻の風景 |
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【解説】「前略、みそ送付の件であるが、別紙葉書の通り照会がきているので相談だが、心配なのはみそ代より運賃の方が高くつくのではないかと思われる。ついては、東京で買った方がよいのではないか。先方へ理由を話し申し訳をするか、それとも東京で買って柴氏に渡すようにした方がよいだろう。
本日十二円を他から借りて送付した。着き次第報告するように。
学校内の事柄を詳細に、何番で及第したのか、これまた報導せよ。
この場合なるべく外出を避け、疑義等を受けないようにすべし。
心配の農作物も案外日増しによくなってきており、やや人の気持ちも平穏に戻ってきた。藤原居二には及ぶだけ世話するようにせよ。右用事まで、早々」という内容。
「柴氏」とは、柴浅茅であろう。本名は碩文。長一の一高以来の友人で、荻原井泉水らと一高俳句会を興し、正岡子規に俳句を学び、俳人法官として知られた。大審院判事になった。
きっと長一の郷里のみそが食べたいなどといったことから、取り寄せようとしたのではないかと推察される。
なお、長一が無事に旧制一高二年に進級したことがこの手紙から分かる。
長一、二十三歳。前回の手紙は旧制一高二年生への進級試験の時期だったのである。校長は尊敬してやまなかった新渡戸稲造。生徒に辰野隆、三宅正太郎、山本寛太、小野寺直助、芦田均らがいた。長一は雄弁会、俳句会に参加し活躍していた。
(岩手県歌人クラブ副会長兼事務局長) |