八月十五日のように泣いている球児
曽我六郎
第89回全国高校野球の日程が進んでいる。青空、浜風、甲子園、「ああ栄冠は 君に輝く」の大会歌にのせて、選手たちの入場行進には熱いものがこみ上げる。厳しい練習にもたえて甲子園の土を踏むことができた選手たち、敗退し、泣きながらその土を持ち帰る子らの姿が大映しになる。ここは白球を追う戦場だ。
一方、忘れられない記憶「鉛筆が止まった昭和二十年」「原爆忌水たっぷりと飲んでいる」「戦争の話となって輝く目」と読み進んでくると、したたかに戦争の惨を体験した目が冴(さ)えてくる。暑かった。辛(つら)かった。飢えと恐怖にさいなまれた日々、若さだけはあったか。他人よりも苛酷(かこく)な体験を語るときの目の輝きは一層国破れた同胞の無力感を誘うだけ。
作者、曽我六郎さんは、「トキザネシンコ?たしかわたしの妻ですが」と詠めば「トキザネシンコ?いいえ一人のお婆さん」と応える川柳作家時実新子さんのご主人。平成15年4月刊行の「曽我六郎川柳集・馬」より。
まだお元気だった新子さんの「解説」がおもしろい。「曽我六郎という人は私にとって知識の宝庫、彼の引出しに「無知」はない。根っからの編集者気質(かたぎ)に舌を巻く。その編集者の礎稿に一驚した。そこには同志がいたからである。畏敬(いけい)の念に愛をプラスして心からの祝福を送りたい」とある。
ことし3月10日、新子さんご逝去。私は先ごろ、「川柳大学」誌の長老の方に、新子さんのお墓の写真を頂いた。「妻の骨わたしの骨にふりかけよ」は六郎さんの句。受けて新子さん「墓の下の男の下にねむりたや」と詠まれたのは、死の影などみじんも感じられない「有夫恋」のころだった。「墓訪わず仏ほっとけ花の日に」とは新子さんの名句。私も常々心の救いに口ずさむ。「思春期に戦争を知る幸不幸(六郎)」八月十五日、戦いに泣いた人々の記憶が球児たちの涙に重なって揺れている。
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