送り盆の16日、盛岡市無形民俗文化財の盛岡舟っこ流しが明治橋上流の北上川であった。大舟15隻(せき)、小舟1隻の竜頭舟が次々と川に流された。男衆は舟に火を放ち、燃え盛りながら流れゆく舟に先祖の精霊をとむらい、無病息災を祈った。
| |
|
|
| |
 |
|
| |
精霊への供養を込めて北上川を流されていく舟っこ |
|
16隻が北上川両岸に集まり、午後4時半から式典、法要が行われた。円光寺の加藤光順住職が読経して先祖を供養、水難事故や戦没者らの精霊に祈りをささげた。
主催者となる盛岡舟っこ流し協賛会の小枝指博会長が「盛岡の夏祭りの有終の美を飾る盛岡舟っこ流しは、昨年より1隻多い16隻が北上川両岸に勢ぞろいした。必ずや皆さんに厳粛で幻想的な感動を与えるものと確信している」とあいさつした。
「舟っこ」は市内北上川流域の町内会などが約1カ月以上前から製作に取りかかる。今回は町内会以外から初めてNPO法人アイディング(藤枝薫代表)が参加した。
藤枝代表は「民間企業からも協賛していただきようやく完成させることができた。地元町内会以外でも広く市民もこのような形で参加できるというアピールをしたい」と話した。
舟っこを川の中で先導する役は盛岡市立高校野球部の2年生16人が担当。主将の佐藤恵佑君は「この日を楽しみにしていた。とても緊張するが与えられた役目を果たしたい」と初めて履いたというわらじのひもをきつく結び直して気合いを入れた。
舟は岸から男衆が水に浸かる所まで運んだ。川に浸かると竹ざおの先に付けた火もとから舟に着火。舟頭らが掛け声とともに綱を引いて川の中央まで引いていく。火の手は一気に舟全体を包み込み、けたたましい爆竹の爆音とともに煙を出しながらゆっくりと流されていった。
両岸に集まった観衆は燃え盛る舟がゆっくりと川を流れていく様子を見つめ、川から吹く涼しい風に過ぎゆく夏の終わりを感じていた。
舟っこ流しは南部氏第30代行信の七女麻久子姫が大慈寺4代目万叡和尚に帰依し、享保年間(1716〜36年)に川施餓鬼の法要が盛大に営まれたことが始まりとされる。文化12年(1815年)には津志田遊郭の売れっ妓(こ)だった大時、小時ら十数人の乗った舟が、はんらんした北上川で転覆、水死したことから翌年、供養したのが今日の行事に受け継がれているといわれている。
舟っこ流しが終わり日が暮れると、地元花火師のトモエ屋煙火工業の手によって3200発の花火が打ち上げられた。観衆は猛暑が続いた今夏の暑さも忘れて、夜空を美しく彩る花火を見上げていた。 |