■ 〈賢治の置土産〉20 岡澤敏男 嘉内の除名処分
|
■嘉内の除名処分
〈銀河の誓〉の頃は賢治も嘉内もまだ人生苦を舐(な)めていない純粋な理想主義に没入していた時期でした。トルストイアンの嘉内は百姓の貴さや貧農の救済など農民主義的立場からの誓であり、賢治も愛読する法華経の「如来寿量品」や「方便品」の宗教観にうたれたとはいえ、まだ観念的な信仰の立場から衆生と「無上道を成ぜん」と誓ったものとみられます。
しかし、その翌年の大正7年3月、2人の人生観がガラッと変わっていく事件に遭遇するのです。それは3月13日のことです。
この日は1、2年生の進級を掲示する日だったが、学校当局は嘉内を3年進級ではなく除名者として掲示したのです。試験が終わって故山に帰省していた嘉内のもとへ賢治から「今聞いたらあなたは学校を除名になったさうです。その訳はさつぱりわかりませんが」(3月14日頃)という手紙が届きました。まさに晴天の霹靂(へきれき)でした。
自分が除名(退学)されたと知り驚いた嘉内はその真否を確かめるため盛岡へ向かったが、学校側は除名の理由を開示せず除名取り消しを拒みました。理由を示さず一方的に除名する学校の横暴に憤激しながらも下宿の荷物をまとめ嘉内は空しく帰郷するしかなかったのです。
賢治は教授たちを巡って嘉内の除名理由を聞き出そうとしたなかで、嘉内が虚無思想家と誤解されたらしいことが第一の除名理由と察知しました。それは『アザリア』第5号に掲載された嘉内の「社会と自分」という断想の内容が問題にされたものらしかった。この断想は10章から成るアフォリズム的な随想だが、初めのほうの一節に次の文章がある。
今だ、今だ、世のあらゆるものの上にあって住むべき時がわれに来った。あゝ最後の日は近づけり、さばきの日は近づけり、偽善者よ去れ、悧口者よ走れ、
ほんとうにでっかい力。力。力。おれは皇帝だ。おれは神様だ。
おい今だ、今だ、帝室をくつがえすの時は、ナイヒリズム。
この「帝室をくつがえす」という個所を学校当局が問題視し、嘉内を危険なニヒリストと見なしたものと思われます。ロシア革命政権が大正6年11月に樹立したこともあり、国内の社会不安を抑えるために内務・文部省は警察力の増強や学生の思想善導を指針とし、虚無思想は過激思想とみなして取り締まり、嘉内の「社会と自分」が筆禍となって虚無思想家の烙(らく)印を押したうえで除名処分に及んだものでしょう。
嘉内の除名を速報した手紙のなかに、「私などはたうとうおめおめと卒業してしまひました」と賢治はきまり悪げに心情を吐露し、さらに3月20日前後の手紙にも「繰り返す事ですが今度は私などは卒業してしまひ、あなたはこの様な事になり、何とも御申し訳けありません」と自分の責任かのように再度陳謝しているのです。
これは賢治の内面に嘉内の除名に同調し卒業を見送り退学を決意したらしいことを意味し、諸般の事情からそれを果たせなかったことへの陳謝だったと推測します。この推測の通りならば、嘉内は賢治にとって殉死を決意させるほど大切な親友だったのです。
■嘉内の断想「社会と自分」
(大正7年2月20日発行『アザリア』第五号より)
割合に悧口なもんだ、しかし馬鹿なものだ、否馬鹿と言うよりもほんとうに話せない奴らだ。
今だ、今だ、世のあらゆるものの上にあって住むべき時がわれに来った。あゝ最後の日は近づけり、さぱきの日は近づけり、偽善者よ去れ、悧口者よ走れ、
ほんとうにでっかい力。力。力。おれは皇帝だ。おれは神様だ。
おい今だ、帝室をくつがえすの時は、ナイヒリズム。
とうとう唯一人、人間の誰かに下さるべき神の御宝がおれに賜われた。かくして外の連中は泥中の微生物、………あゝ彼らを救ふべき力と光とは。
どんな場合に於てでもある人の片寄った性質は反ってその人の保護色となり御愛嬌となるのだ。
(第5章、6章略)
ほんとうに馬鹿なものと悧口なものとでは同じ結果を来す。
これはヒルデブラントの経済階梯説のきゝかじり信者。
蒼大空に向ひて十字を切るべし、空は空なれば也。
天勝一座の針金渡り。
大空のプランクトンと言うべきか、社会の毒虫か、これもきゝかぢりか。
|
|
|
|
|
|
|