2007年 9月 3日 (月) 

       

■  〈夜空に夢見る星めぐり〉193 八木淳一郎 盛岡天文事情その9

 理振法というものによって、わが国のどの小学校・中学校にも戦後、天体望遠鏡が備えられました。ところが、近年になって、理科の授業の中から地学、とりわけ天文に割り当てられる時間が大幅に削減されるようになってきました。教員を養成する大学の教育学部でも、天体観測の実習というのはほとんど行われず、もし授業で天体観察を行うことになったとしても、生徒たちを前にして望遠鏡をどのように操作するか、途方にくれる先生もおいででしょう。もちろん、その天体観察そのものが実施される学校は、まずほとんどありません。こうして、望遠鏡は戸棚の奥でほこりをかぶったまま、廃棄処分の日を迎えることになるのです。学校や望遠鏡に限らず、さまざまな公的機関の高価な設備にも同様のことが山ほどあるに違いありません。厳しく取立てる税金ですが、しょせんは人のお金です。行く末はきっとさまざまなのでしょう。

  さて、学校にある理振法で備えられた望遠鏡の多くはもともとが貧弱なのがもっぱらで、性能もあまり期待できるものではありません。このような現状では、宇宙への興味ははぐくまれるどころかむしろ摘み取られてしまいましょう。こうした無駄を省くためにも、そして、本来あるべき天文教育をきちんと実践する上でも、天文台は頼もしい存在と言えるでしょう。学校にあるような、ちまちました望遠鏡を何台合わせたところで、天文台の大口径の望遠鏡の性能には絶対に太刀打ちできません。そんな高性能の望遠鏡で真の天体の姿を見せてこそ、岩手、盛岡の子供たちの目と心は宇宙の大海原へと船出し、やがて大きな夢がはぐくまれるに違いありません。こうして培われる宇宙観は、地球全体に思いをはせ、狭い地域のしがらみに窒息することなく広い世界や環境の問題に関心を持たせることにもなるでしょう。宮澤賢治や物理学者田中舘愛橘などの先人を生みはぐくんだ大県岩手の、その県都の名に恥じない、スケールの大きな教育が待望されます。

  蛇足ついでですが、教育や人材育成といったことは、学歴や権威や権力を手に入れることにつながりがちです。こんな背景のもとでの、子供たちの受験・進学至上主義、大人たちの処世術、公的人間の威圧的態度、などなどが密に絡みあう。すると、どうでしょう。面倒なことは避ける、余計な荷物は背負わない、人を踏み台にする、人を足げにする、足を引っ張る、そして官尊民卑などの風潮が生まれ、わが国を犯罪のはびこる殺伐とした世相の暗雲が一挙に覆い始めてきています。軽んじられていると、実用に供さないようなこと、そして学校の授業から真っ先に省かれるようなものの中にこそ実は大切なものがあるのだ、と、いよいよ気づくべきときかもしれません。

(盛岡天文同好会会員)

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