2007年 9月 5日 (水) 

       

■  〈口ずさむとき〉36 伊藤幸子 韮の花咲く

 韮に咲く花の貧しくこのあした寒き曇の下に揺れをり
  關口由紀子

 
  まだ「ウツ」だの「ストレス」だのということばが一般にはびこっていないころだった。昭和59年8月、この作者が39歳で女児と共にマンションから投身という衝撃的な事件は、全国の歌人仲間を驚かせ、悲しませた。当時から歌壇の高齢化が言われ、老いて病を抱えている人も多い中、将来を期待されていた若手女流の自死は時を経ても惜しまれ続けた。

  その翌年の夏、新潟県弥彦で所属短歌会の全国大会が開かれ、その会場で彼女の遺歌集「韮(にら)の花咲く」が配られた。白い絹布の表紙にタイトルがしろがねに彫られ、「遺歌集」の三文字が切ない。

  昭和20年生まれの作者とはひとつ違いの私は常に誌上で、結婚、出産、育児など共通の素材を通して親近感を持っていた。「整然と五列縦隊に進みきぬジュラルミンの楯(たて)まばゆきばかり」の学生運動の時期もあり、「喜びに憂ひに遠く輝けるかの月面に人は立ちしと」の場面も共有した。「両国の仕掛花火が二階よりよく見えしなり産土(うぶすな)の家」にて育った彼女は、早くに母親を亡くされ、姉妹たちの母親代わりとなって家族の面倒を見られたという。

  やがて結婚、そのころの歌に「家庭的な女などと言へり今の世に才無き人と評さるるに似む」があり、平成の「今の世」に読んでも、彼女の感じていた思いがよくわかる。女性の社会参加が叫ばれ、男女雇用機会均等法が施行される以前の時代の切実さが伝わってくる。

  「国旗などはためくよりも真白き襁褓(むつき)が風にはためくはよし」紙おむつ全盛の今より三むかしばかり過去の女性たちの満足感。そのかげで「阿佐緒にもノラにもなれず飲食の重たき包みを下げて戻り来」「なしたきをなししは幾つぬかるみを行くかに寂し家なすことの」といった不安感をも訴える。今のようにすぐ、ウツやストレスを医療面から対処できていたならと思うことである。還暦をすぎた彼女と、飲み、語りたかったと、韮の花咲く晩夏の庭を眺めている。


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