■ 〈胡堂の父からの手紙〉128 八重嶋勲 胃腸カタルとやらで欠勤した
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■183巻紙 明治38年10月30日付
宛 東京市本郷区第一高等学校東寮四番
発 岩手県紫波郡彦部村
前略習(修)学旅行記事書紙到着披見致候、嘸賑々敷事ト推察致候、
去ル日金拾七円送金候筈落手セシヤ、其支払外套ノ買求メタルヤ、其残金ノ斗(計)算通報可致候、
去ル廿一日より一寸相煩ヘ(ヒ)木村医師ノ診断ヲ受ケタル処腸胃加答留トヤラニテ昨廿九日迄役場ニモ欠勤シ、最モ列(烈)敷トキモ有之タル為メ、家内ニモ一方ナラス心配為致、病状ハ下痢ニモ無之、僅々ニテモ食事スルトキハ腹痛ス(シ)テ三畫夜斗(計)リ絶食不眠ニ既ニ東京迄電報ヲ発セントセシコトモ有之タルモ、廿八日ノ夜ヨリ稍ヤ便通シ、快方ニ趣キ、本日ヨリ力メテ役場出席致居候、此分ニテハ差タル事モ無之カルベシ、別ニ心配ニモ不及候、
キクエ義(儀)ハ当月中旬ヨリ左リノカエ(イ)ナ傷ミアリトテ殊ニ夜分痛ムヨシ、或ハレーマチシ(リューマチス)ナラント心配致居候得共、未タ医師ニモ不診、普通ノ如ク相働キ居リ候、
ミキ義(儀)ハ養母ニ種々可酷ナルコト云ハレタリトテ帰リ居リタルヲ輝三迎(へ)ニ参リ、去ル廿八日両人ニテ帰リタリ、其日先方ノ即チ沼田ノ祖父様「齢八十一才ノ人」死亡セシ由ニテ免ニ角良キ場合立戻リ候、
過日中ニ三回往復セシ彼ノ味曽(噌)一件如何取斗(計)ヘ(ヒ)候哉、□清方ヨリ折節面談セラレ申訳ナキ都合ニ候間、至急可取斗(計)候、夫共何カ事情之アル次第ニ候ハヽ事情方早々一報可致候、
右絞付小包ナラ拾五、六銭ナルベシ、都合宜敷送付スベシ、
金員ハ明後(日)迄ニ電替可致候、右用事迄早々
十月三十日 野村長四郎ヨリ
野村長一殿
手前病気ノ事ハ別段心配スルニ不及候
【解説】「前略、修学旅行の記事を書いたものが到着したので見た。さぞにぎやかなことと推察している。
さる日に17円を送金したので落手したことと思う。それで外套(とう)を買い求めたことであろう、その残金の計算結果を知らせよ。
さる21日よりちょっと患って木村医師の診断を受けたところ胃腸カタルとやらで、昨29日まで役場を欠勤し、最も烈しいことがあったので、家族にも大変心配をさせた。病状は下痢でもなく、わずかでも食事すると腹痛がして3昼夜ばかり絶食、不眠となり、東京の長一へ電報を打とうと思ったこともあったが、28日の夜より、やや便通があり快方に趣き、本日より頑張って役場へ出勤している。この分ではさしたることもないであろうから別に心配に及ばない。
キクエ(長一の妻)のことは当月中旬より左の腕に痛みがあるという。ことに夜分に痛むとのこと。あるいはリューマチスではないかと心配しているが、まだ医師にも行っておらず、普通のように働いている。
ミキ(長一の妹)のことであるが、養母に種々可酷なことを言われたといって帰ってきていたが、輝三(夫)が迎えにきて、さる28日2人で帰っていった。その日、先方の即ち沼田の祖父様(齢81歳の人)が死亡したとのことで、とにかく良い場合に立ち戻った。
過日中、2、3回往復した、かのみその1件はどう取り計らったのであろうか。□清方より、折節面談され申し訳ないことなので、至急取り計らうようにせよ。それとも何か事情があるのであれば、その事情を早々に一報せよ。
右絞付小包なら送料は15、6銭であろう。都合よく送付するように。
金員は明後日までに電報為替で送金しよう。右用事まで、早々」という内容。
父長四郎が、胃腸カタルにかかり、約旬日苦しんだ様子。旧制一高在学中の長一に電報をしようと思ったほどであるから尋常でない痛みだったのであろう。
みその1件は、まだ決着していないようである。
(岩手県歌人クラブ副会長兼事務局長) |
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