たけ高き紫苑(しおん)の花の一むらに時雨の雨は降りそそぎけり
齋藤茂吉
その季節がくれば、必ず口ずさむ歌がある。私にとって茂吉翁のこの歌は、半世紀の愛誦(あいしょう)歌といっていいほど心身になじんでいる。
十五の秋、高校一年の放課後の教室だった。担任のO先生に、自作の短歌を見ていただこうと原稿を広げて坐(すわ)っていた。先生の国語の授業はとても厳しく、ことにも齋藤茂吉を語られるまなざしは熱く、茂吉の歌は何十首も教科書ぬきに読み上げられるのだった。その先生のご評に堪えるには十首ぐらいでは採られるものが一つもないので、たいてい五十首ぐらいは作っていったものだった。その時、いくつの作品にまるがついたのか覚えていないが、先生が「たけ高き紫苑の花の一むらに時雨の雨は降りそそぎけり」と呟(つぶや)かれ、「この歌の良さがわかりますか」と問われた。「この歌がわかったら、また持ってきなさい」と言われ、以来私の宿題となった。
後年、山形に十二年も住むことになった私は、上山市の齋藤茂吉記念館を何度か訪ねた。旧館の頃(ころ)の方がよかった。「ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも」と吟ずる茂吉翁の声が流れ、「いたく寂しく」のところがえもいわれぬ情感があった。
九月初旬、出羽の里ではふとした小路(みち)に、家々の門先に、紫苑の花が咲き始める。人の背丈ぐらいにも伸びて、明るく純な紫色のその花はまさしく茂吉の歌を想(おも)わせて慕わしかった。そして時雨もよく降った。
今回、久々に茂吉全集を読み返してみた。「紫苑」の作品は昭和21年、茂吉65歳の時のもので「白き山」所収。疎開先、金瓶(かなかめ)村から大石田町に移り住んだ頃である。私の生まれた年に詠まれた「紫苑」の歌。それを茂吉最高秀歌と賛えられた恩師、小川達雄先生に、ようやく宿題の意味が少し判(わか)ってきましたと、まだご報告に至っていない。歳月だけは余りある六十年の時雨を浴びているのだけれど−。
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