■ 水筒にさびた理容用かみそり ビアク島から63年ぶりに父の遺品
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発掘された藤井さんの遺品 |
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奥州市のNPO法人太平洋戦史館(岩渕宣輝会長理事)が6月から7月にかけてインドネシアのビアク島で発掘した遺品が盛岡市の藤井礼子さん(65)=同市南仙北1の11の13=の父、藤一郎さんのものと分かった。藤井と名前が書かれた水筒、万年筆、インキなどで、理髪店を営んでいた藤一郎さんが持参したと思われる理容用の剃刀(かみそり)も含まれていた。藤井さんは「亡くなった父よりも年をとってからこうして対面できた」と戦後62年ぶりに南方から帰った父の面影をしのんでいる。岩渕会長理事は戦地に眠る遺骨を一刻も早く帰すよう国に強く求めている。
岩渕さんらは6月3日にビアク島のイメノという場所で、現地人の「日本兵が1人埋まっている場所がある」という案内に従い発掘作業し、水筒などの遺品が見つかった。
藤井の名前が入っていたことから、現地にいた陸軍暁2948部隊の兵籍を調べたところ、3人の藤井がいた。軍事郵便の筆跡と比較し、剃刀が業者用のものだったこと、生存者の「理髪業の藤井さんが当番兵でいたと思う」などの記憶から、藤一郎さんの遺品と断定した。
ビアク玉砕の戦死者の4人に1人は岩手県人と言われるほど、郷土出身将兵の犠牲は大きかった。
藤一郎さんは1944年に召集され、5月3日にビアク島ゲニムで戦死との公報が届いたきり、盛岡には骨も遺品も帰らなかった。32歳だった。遺品が見つかったイメノはゲニムの一地点。遺骨収集は各地で行われてきたが、戦後60年以上経ってから遺品が特定できたのは極めてまれ。7月3日には近くから藤一郎さんとみられる遺骨も見つかった。
盛岡市の県庁で14日記者会見した岩渕さんは「遺骨という言葉は使いたくない。兵隊は遺骨というほど大切にされず、まだ死体として埋まっている。アメリカがベトナムや朝鮮でやったような未帰還兵の捜索と言ってもいい。国は何をやっているのかという思い」。岩渕さんと遺骨収集にあたった兵庫県西宮市の横山邦彦さんは「今なら誰か特定できる材料が残っているのに国は消極的だ」と無念がる。
藤井さんは「娘が父よりも年をとってしまったが、お帰りなさいという思いで本当によかった。おかげさまで日に日に実感がわいてくる」と話し、幼い日に出征した、まぶたの父を思った。
太平洋戦史館は会長理事の岩渕さんらが1999年からビアク島に赴き、国の遺骨収集作業の中で06年までに361柱を掘り起こした。今年は戦史館の調査をもとにして厚生労働省が10、11月に現地に遺骨収集団を派遣する。
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