■ 〈胡堂の父からの手紙〉129 八重嶋勲 筋力運動を十分やるように
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■184半紙・巻紙 明治38年11月6日付
宛 東京市本郷区第一高等学校東寮四番
発 岩手県紫波郡彦部村大巻
前略頃日之病気稍ヤ全快シ且ツ両三日前ヨリ役場出勤致居候、診察ハ日詰町木村政太郎氏ニ受ケ、目下養生スルコトヲ注意ヲ受ケ候、如斯漸次回復度候得者必ラス心配ハ無用之事ニ候、凶作之為メ万事ニ困難罷在候モ不拘尚又猪川浩氏ヨリ資本金拾五円救助云々手紙ニ而被申越、実ニ当惑罷在候、無資本之書生之頃遇可隣之事ニ候得共素ヨリ当方ニ於テモ余裕アル生活ニモ無之、壱人ノ学資ニシ(ス)ラ困難シ居ルコトニ候得、他人ノ目ヨリ見ル時左(然)程等ハ被思ザルナラント被存候、就テハ乍気毒此度断然相断ル所存候、
次ニ乍毎度学術優等ニアラザレバ他日官途之選抜セラルヽノ幸福機ヲ失スル事可有之候、
次回試験ニ於テ可相成優等之□様ニ可致候、□ノ事ニ節険(倹)ヲ行フ様ニ被可致候、
家内ニハ何モ変リタル事無之、ミキノコトモ回復シ、キクエノ腕痛等モ別段ノコト無之、其他祖母様達ニ於テハ強健ニテ内外之事ニ手傅致居候、右用事迄、早々
十一月五日 野村長四郎
野村長一殿
昨日暮方ヨリ今朝(六日)迄初雪(降)リ出候、屋根等白クナリ平地田畑ニハ止メス、
彦部正養寺ノ京都在学生ハ結核ノ為退校命セラレ、此間帰郷セシ由ナリ、佐比内村ノ石杜モ同様ニテ自宅療養ナル由、両人共帰宅後ノ経過宣敷方ナリト、
総テ学生ハ運動不足ヨリ生スル病人数多アル様ニ候、散歩以外ノ□力運動充分ニスベシ、朝早起スルノ習慣作リ莨減スルノコトヲ心掛ケベシ、勉強ノ為メニモ可相成ニ付キクエ方ヘ折節仮名文字手紙ヲ遣シ(ス)ヘシ、
タミ義(儀)妊娠中、本年中ニハ出産アルベシ、凶作ノ為メ救済方法公私共ニ講シ先ツ麦ノ播種反別ヲ増シ、馬鈴薯種人口壱人ニ拾坪宛準備スル事、外国米買入(レ)ル事等其他折節県官ノ出張アリ、種々考案中ナリ、些民ニ至ツテハ壱円ノ金モ得ルニ難シ、実ニ悲惨ノ極(ミ)ナリ
【解説】「前略、先日の病気はやや全快し、かつ両3日前より役場へ出勤している。診察は日詰町の木村政太郎氏で、先ず養生することと注意を受けた。このように漸次回復しているので心配は無用である。凶作のため万事に困難であるが、それにもかかわらず、なおまた猪川浩氏から資本金15円を救助してほしい云々の手紙がきており、実に当惑している。無資本の書生のことゆえ隣れむべきことではあるが、当方においても余裕がある生活でもないうえ、今一人の学資にすら困難しているところである。他人の目から見ればさほどには思われないようである。ついては、気の毒ではあるがこの際は断然断るつもりである。
次に毎度ながら言うが、学術優等でなければ、将来官途に選抜される幸福の機を失することであろう。
次回試験においてはなるべく優等の位置になるようにするべし。
そしていよいよの節倹を行うようにせよ。
家内には何も変わったことはない。ミキのことも回復しているし、キクエの腕痛等も別段のことはない。その他祖母様達も強健で内外の事に手伝っている。右用事まで、早々
(追伸)
昨日暮方より今朝(6日)まで初雪が降った。屋根などが白くなったが平地、田畑は消えてなくなった。
彦部の正養寺の京都在学生は結核のため退校を命ぜられ、この間帰郷したとのこと。佐比内村の石杜も同様で自宅療養をしているとのことである。両人共帰宅後の経過は良い方に向かっているとのことである。
すべて学生は運動不足から生ずる病人が多いようである。散歩だけでない筋力運動を充分にやるようにせよ。朝の早起きの習慣を身につけ、煙草を少なくすることも心掛けるようにすべし。勉強のためになるべくキクエヘ折節仮名文字の手紙をくれるようにすべし。
タミのことであるが、今妊娠中で、本年中には出産であろう。凶作のため救済方法を公私共に講じている。先ず麦の播種の面積を増やし、馬鈴薯の種を人口1人に20坪当て準備すること、外国米を買入れることなど、その他折節県官の出張があり、種々考案中である。庶民にとっては1円の金も得ることは難しい。実に悲惨の極みである」という内容。
父長四郎の胃腸カタルもどうやらおさまったようであるが、村長として未曾有(みぞう)の大凶作の救済対策に奔走している様子がうかがわれる。
猪川浩とは、盛岡中学で長一の1級下であり、啄木と同期生。秋田俳句行脚に一行5人(岩動炎天、岩動露子、猪狩五山、猪川箕人、野村菫舟)で出掛けた仲間で、特に親しい交わりをした友人の一人である。父長四郎とも大いに面識があった。
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