2007年 10月 1日 (月) 

       

■  〈潮騒の賢治〜インドネシア紀行〉2 望月善次 天の楽音

もう明けがたに遠くない
崖の木や草も明らかに見え
車室の軋りもいつかかすれ
一ぴきのちひさな白い蛾が
天井のあかしのあたりを這つてゐる
   (車室の軋りは天の楽音)
(「噴火湾(ノクターン)」、『春と修羅』
/一九二八・八・一一)
 
  「ラブハンバジョ(真珠)養殖場」の事務所は、海に面してある。

     
  「ラブハンバジョ(真珠)養殖場」の日の出  
 
「ラブハンバジョ(真珠)養殖場」の日の出
 
  その海に面する庭先まで、海の水が寄せている。遠浅にして、透明の水が静かに寄せ、穏やかな潮騒の音を伝えるのである。

  この潮の音を聞きながら賢治を読む。

  渡って来る風は、庭先の椰子(やし)を渡る風でもある。

  椰子のジュースを飲みながら、あのまろやかなインドネシアコーヒーを飲みつつ、賢治を読むのである。

  タマラナイ。

  正に「潮騒は天の楽音」である。

  それにしても、海を目の前にしているのはいい。

  賢治にも、修学旅行(明治45年5月27日〜29日)で、初めて海を見た時の興奮を伝える「まぼろしとうつつとわかずなみがしら/きほひ寄せ来るわだつみを見き(10)」や文語詩「〔われらひとしく丘に立ち〕」(文語詩未定稿)があるが、筆者もまた海のない県、山梨県の出身なので(ちなみに、出身高校で言えば、保阪嘉内の後輩にもなる。)、海を見ると心が躍るのである。

  賢治を読みながら日が暮れ、潮騒と共に夜が更けて行く。

  波の音を聞きながら眠りに就いたのであるが、何処かが興奮しているのか、早めに目が覚める。「もう明けがたに遠くない」そのままの感覚に朝明けのテラスに立つ。

  「どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ」ことが賢治の思いであったが、ラブハンバジョの朝は、波の音と共に明けて来る。

  夜通し見張りを行っていた人々が(真珠養殖の問題点の一つは、盗難だそうである。)桟橋を渡って帰って来る。

  その静けさの中に、圧倒的な朝日が昇る。

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