もう明けがたに遠くない
崖の木や草も明らかに見え
車室の軋りもいつかかすれ
一ぴきのちひさな白い蛾が
天井のあかしのあたりを這つてゐる
(車室の軋りは天の楽音)
(「噴火湾(ノクターン)」、『春と修羅』
/一九二八・八・一一)
「ラブハンバジョ(真珠)養殖場」の事務所は、海に面してある。
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「ラブハンバジョ(真珠)養殖場」の日の出 |
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その海に面する庭先まで、海の水が寄せている。遠浅にして、透明の水が静かに寄せ、穏やかな潮騒の音を伝えるのである。
この潮の音を聞きながら賢治を読む。
渡って来る風は、庭先の椰子(やし)を渡る風でもある。
椰子のジュースを飲みながら、あのまろやかなインドネシアコーヒーを飲みつつ、賢治を読むのである。
タマラナイ。
正に「潮騒は天の楽音」である。
それにしても、海を目の前にしているのはいい。
賢治にも、修学旅行(明治45年5月27日〜29日)で、初めて海を見た時の興奮を伝える「まぼろしとうつつとわかずなみがしら/きほひ寄せ来るわだつみを見き(10)」や文語詩「〔われらひとしく丘に立ち〕」(文語詩未定稿)があるが、筆者もまた海のない県、山梨県の出身なので(ちなみに、出身高校で言えば、保阪嘉内の後輩にもなる。)、海を見ると心が躍るのである。
賢治を読みながら日が暮れ、潮騒と共に夜が更けて行く。
波の音を聞きながら眠りに就いたのであるが、何処かが興奮しているのか、早めに目が覚める。「もう明けがたに遠くない」そのままの感覚に朝明けのテラスに立つ。
「どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ」ことが賢治の思いであったが、ラブハンバジョの朝は、波の音と共に明けて来る。
夜通し見張りを行っていた人々が(真珠養殖の問題点の一つは、盗難だそうである。)桟橋を渡って帰って来る。
その静けさの中に、圧倒的な朝日が昇る。 |